グローバル冷戦史 の商品レビュー
冷戦というと、ついつい米ソの二超大国が睨み合って戦争しそうになった事件、というイメージがある。しかし、その影で、幾つもの「熱戦」が起こっていた。アジア・アフリカ・ラテンアメリカにおける内戦がそれである。本書は、そうした「第三世界」への米ソの介入という切り口で冷戦を描く。僕は歴史が...
冷戦というと、ついつい米ソの二超大国が睨み合って戦争しそうになった事件、というイメージがある。しかし、その影で、幾つもの「熱戦」が起こっていた。アジア・アフリカ・ラテンアメリカにおける内戦がそれである。本書は、そうした「第三世界」への米ソの介入という切り口で冷戦を描く。僕は歴史が専門ではないし、多言を弄することは避けるが、第三世界からすれば、冷戦は決して≪長い平和≫ではなかった。そして、終章で描かれるように、ある意味では、冷戦は終わっていない。以上のことに気づかされた。
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世の中に「アメリカは嫌いだ」という日本人は思いの外たくさんいるよう見受けられるが、一体全体どういう訳かと訊くとそれはあたかも陰謀論めいていることがままある。それは確かにそうだろうが、その根拠はそれでは何であろうか。 近年で言えばそれはイラク戦争が非難の理由に的確に当たるだろう...
世の中に「アメリカは嫌いだ」という日本人は思いの外たくさんいるよう見受けられるが、一体全体どういう訳かと訊くとそれはあたかも陰謀論めいていることがままある。それは確かにそうだろうが、その根拠はそれでは何であろうか。 近年で言えばそれはイラク戦争が非難の理由に的確に当たるだろう。それより遡るとベトナム戦争なんかが挙げられるかと思う。しかしながら、ベトナムを自分勝手なアメリカと称する根拠にするのは簡単であるが、本当にそれは利己的な行動であったと言えるのか考えると、それは途端に怪しくなる。ではどうやってアメリカを責めればいいのか、と勘案すると、そこで根拠のない陰謀論というやつが幅を利かせることになるのだと思う。 本書は世界的権威の筆者による、本格的な冷戦史に関する著作である。タイトルが『グローバル冷戦史』とあることからも解るように、これは「グローバル」な範囲にその説明領域を広げた概説である。即ち、歴史学が常に陥りがちな、欧米中心の史観から脱却し、世界大をその説明領域にしている。ではあるが、あまりこのタイトルは適切な感じがどうにもしない。それよりもサブタイトルが『第三世界への介入と現代世界の形成』となっているが、こちらの方がふさわしいのではないか。そのくらい、本書はアメリカとソ連という二帝国による介入についての叙述が中心となっており、その理解が現代世界の抱える問題について了解するための一助となるように出来ている。 ここでレビューの冒頭の話題に戻るが、本書における介入の具合を読むことは、帝国による自分勝手さを非難する武器となりうるのではないかと思う。本書の構成は以下のようになっている。一章がアメリカという自由の帝国の成立、二章がソ連という公正の帝国の成立、三章が植民地における革命家の登場が描かれ、そして四章から十章までが詳細な介入の歴史になっている。ここでの対象は、中東、ラテンアメリカ、キューバベトナム、アンゴラエチオピアなどなどとにかく切りがないのだが、筆者のウェスタッドは様々な国について、アメリカ旧ソ連イギリスイタリア旧東ドイツ旧ユーゴスラビア南アフリカ中国などの一次資料を用いて説明しているのだから、とてつもないとしか言いようがない。そしてこの丁寧な仕事から様々な帝国たちの悪行が顕わになるのであり、これは冷戦という形をより広い視野で捉えることに挑戦した偉業とも言える。本書はバンクロフト賞を受賞した。 しかし難がないわけではない。まず何よりも、これは冷戦史とは呼べないだろうという点がある。即ち、各国で起きた事例について帝国がどう介入したか、というだけでは、これまでの冷戦史とは逆の意味で、冷戦の一方しか語っていないと言える。そのため本書は、あくまでこれまでの正統的な冷戦解釈に対する補完的な役割という色合いが強い。それからどう介入したかを読んでアメリカは酷いと直感的に感じるところはあったが、しかし彼らがいなければうまくいったかと想定すると、決して事はそう単純でないことも解る。行動の倫理性よりも、その行動がもたらした結果について明らかにしなければならないのに、うまくいっていない。それでも帝国の介入志向を訴えるためにはある程度彼らの行動の源泉を単純化しなくてはならないのか、起こった事例については詳らかでも、米ソ内部についてはとても単純になっている。オーソドックスな冷戦史が重視してきたところを無視した結果とも言えるが、資料の詳細さに対してとても残念な部分だった。
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