語り合うにっぽんの知恵 の商品レビュー
これの前の『にっぽんの知恵』を先に読んでから、こっちもたらたらと読んでいた。前著は2005年の新聞連載をまとめたもの、こっちは2006年度分である。 おたがい「ちょぼちょぼの人間」が、何でもいい、モノやサービスや思いなど、それぞれ持ち前の能力に支えられた営みを、相互に「やりとり...
これの前の『にっぽんの知恵』を先に読んでから、こっちもたらたらと読んでいた。前著は2005年の新聞連載をまとめたもの、こっちは2006年度分である。 おたがい「ちょぼちょぼの人間」が、何でもいい、モノやサービスや思いなど、それぞれ持ち前の能力に支えられた営みを、相互に「やりとり」しながら「重ね合わせ」て、日々の暮らしを遊び楽しみながら成り立たせる方向をめざすこと──それをこの本では「にっぽんの知恵」と呼びたいと巻頭にある。 前著と同じく、「花見」「生態史観」から「座談会」まで、3人が寄って語り合っている。エイゴの「コミュニケーション」と、日本語の「やりとり」は、根本が違うという話がおもしろかった。 ▼英語の「コミュニケーション」という単語は日本語に訳しにくい。実際この言葉は、必ずといっていいほど、カタカナ書きの外来語として用いられる。同時に、いまひとつ大切なことは、「たがいに情報を『やりとり』する」ときには、わざわざ「双方向コミュニケーション」と表現しなければならなくなる。 それに比べると「やりとり」は、みごとな日本語だと思う。背景には、日本人が「一方向的な情報伝達」より「やりとり=双方向コミュニケーション」を、より根源的なものとして大切にしてきたことが暗示されている。そして、さまざまに異なる、しかし「ちょぼちょぼ」の人と人とが、それぞれの知識や思いを「重ね合わせ」ながら、より好ましくて楽しい暮らし方を求め続けてきたのである。(pp.254-255) どのネタの座談もへぇぇと思ったり、そんな見方があるんか!と思ったりしながら、おもしろく読んだ。ちょーっと間違うと「にっぽんチャチャチャ」へ曲がりそうな感じで、そうでもないところが、わるくなかった。
Posted by
- 1