この子を残して の商品レビュー
キリスト教信者の方には博士の気持ちがストレートに伝わるのだろうけど、キリスト教の解釈に理解が及ばず、我が子を思う気持ちは痛いほど分かるものの、孤児や孤児院関係者に対する辛辣な表現に耐えきれず途中で断念。
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友人と話していてご実家が長崎だと知った。 いろんな話を聞いて…… 少し前「長崎の鐘」を読んだので、もっと知りたくて図書館で借りた。 クリスチャンとしての真の信仰に支えられ闘病の中で 残していかねばならない愛児への切なる想い。 そこにも信仰が貫かれていた。 是非「如己堂」を訪れたいと思っている。 むごたらしい原爆 過去のもののはずなのに またしても! 「戦争を終わらせるための必要悪」だったという認識は覆っていない。 何なんだ、この世界は! ≪ ただ祈る 我が子の未来 ロザリオを ≫
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2人の幼い子を残して逝かなければならない心情が痛いほどよく伝わってきた。敬虔なクリスチャンであり、放射線専門医であり、一人の父親であった。 孤児に対する偏見や、血縁のみがホンモノで育ての親を全否定しているところは相容れなかったが。
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タイトルから想像されるような子供へ哀切の情が述べられているのは本書のほんの一部です。 確たるカトリック信仰を持つ著者は、自らの病も神の摂理と信じ、やがて孤児となる我が子の運命もきっと神が道を備えてくださると信じています。 浦上周辺の雰囲気が感じられて良い本でした。
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ふたりの愛児向けの書。価値観が異なる自分には、申し訳ないけど読むのがきつく(苛ついて)ながら読みで読了した次第です。 この残されたふたりが、幸せな人生を辿れたのか、かなり気になりました。 少なくとも戦争や原爆、闘病の書ではありません。
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永井博士の存在を知ったのはたった3年前だ。修学旅行先が長崎に決まり、その下見の際に先輩の教諭から如己堂を訪れることを勧められた。 その際、資料館も訪問して、永井博士の簡単な略歴は知っていたが、本書を読んで初めて、この人の思想を理解した。 永井博士はただのキリシタンではなく...
永井博士の存在を知ったのはたった3年前だ。修学旅行先が長崎に決まり、その下見の際に先輩の教諭から如己堂を訪れることを勧められた。 その際、資料館も訪問して、永井博士の簡単な略歴は知っていたが、本書を読んで初めて、この人の思想を理解した。 永井博士はただのキリシタンではなく、心より神を信仰する真のキリシタンであったのだと感じた。 本書では、残り少ない命を感じながら、父として少しでも子に伝えられること(信仰心)を丁寧な言葉で綴っている。 戦争の悲惨さ、物悲しさ、そんなものよりも、父の愛を感じる文章である。 重要なのは過去の悲惨な出来事ではない、現状のありのままの自分を受け入れ、自らに求められていることのみをする、それが人類の在り方だ。 永井博士は戦争や平和なんて言葉はちっぽけなもので、もっと大きなものに心をゆだねていたのではないか。そう感じた。
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大戦中被爆した長崎医科大学の医師・永井隆博士の随筆。 原爆症により病床に伏しながらも、貧しい子らや原爆症に苦しむ人々のために研究と執筆活動を続けた永井博士。 二人の子供を残して死に行く自分への悔しさと、子供への愛が切々と綴られた本作は、改めて平和の意義を考える機会を与えてくれる。...
大戦中被爆した長崎医科大学の医師・永井隆博士の随筆。 原爆症により病床に伏しながらも、貧しい子らや原爆症に苦しむ人々のために研究と執筆活動を続けた永井博士。 二人の子供を残して死に行く自分への悔しさと、子供への愛が切々と綴られた本作は、改めて平和の意義を考える機会を与えてくれる。 「家族愛」という普遍的なテーマで戦争が描かれているため、現代に生きる私たちも「過去のものではない」戦争を追体験できるだろう。 「汝の如く他人を愛せよ」という聖句から名づけられた畳二畳の「如己堂」で執筆された名著のひとつ。 人生で必ず一度は読んでおきたい本のひとつである。
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1ヶ月くらい前に『長崎の鐘』を借りてきて途中まで読んだところで、こっちの『この子を残して』も借りてきた。 「この子を残して」のことを私が知っているのは、むかし映画を見たからのような気がするが、いつどこで見たのかは記憶がはっきりしない。読んでみて、私は本を読むのは初めてやなと思う...
1ヶ月くらい前に『長崎の鐘』を借りてきて途中まで読んだところで、こっちの『この子を残して』も借りてきた。 「この子を残して」のことを私が知っているのは、むかし映画を見たからのような気がするが、いつどこで見たのかは記憶がはっきりしない。読んでみて、私は本を読むのは初めてやなと思う。巻頭の「この子を残して」とともに、本文カットに入っている、永井の描いた子供たちの絵や浦上天主堂の絵、誠一さん、カヤノさんが描いた父の絵などが、心にひびく。 うとうとしていた永井のほおに、カヤノさんが冷たいほおをくっつけて、「ああ、…お父さんのにおい…」と言う場面から書き起こされた文章は、カヤノさんが小声で「お父さん」と言う場面で閉じられる。「それは私を呼んでいるのではなく、この子のちいさな胸におしこめられていた思いがかすかに漏れたのであった」(p.25)。 放射線医学を専門とした永井は、先輩方の犠牲によって次第に有効なものとなってきた放射線予防に心を配ってきたが、戦中の多忙もあって、許容量をうわまわる放射線を浴びつづけ、ついに慢性骨髄性白血病と悪性貧血を発した。慢性の原子病である。予後は3年かということを妻に知らせ、「生きるも死ぬも天主様のみ栄えのためにネ」と言い、二人の幼子の行く末について「あなたが命をかけて研究なさったお仕事ですから、きっと子供たちもお志をついでくれるでしょう」と言った妻の言葉を頼りに、これで心を残さず倒れるまで仕事に邁進できると永井は奮い立った。 そこへ原爆投下。二人の幼子を託したはずの妻はバケツに軽い骨となって拾われ、永井自身は慢性の原子病のうえに、さらに急性原子病が加わった。そのなかでも、「私たちが医学史上最初の観察者として選ばれた、原子爆弾症」について研究しようと、負傷の身で杖を頼りに患者を訪ねてまわった永井は、2ヶ月後、ついに自身が原爆症に倒れる。たまたま三日前に、山のばあさんの家へ行かせた二人の子供が無傷でたすかっていた。 このときの克明な観察が、長崎の被爆の光景とその後の被爆者の予後と治療の詳細を書いた『長崎の鐘』となっている。そして、自分の死の遠からぬことをわかって、「孤児予定者」たる二人の子供にあてて書いたものが『この子を残して』。すでに長崎で見聞きしている孤児たちの生活をかえりみ、二人の子の行く末を案じる親の心を感じる。永井の筆とトーンはまったく違うけど、青葉学園シリーズの孤児たちの暮らしを重ねて思う。 キリスト者でもあった永井の書くもの、その発想は、私にはわからんこともいろいろあるけど、信仰をもち科学者であるというのは、こういうことでもあるのかなあと思う。 ※青空文庫のXHTMLファイルでは、挿絵入りでテキストが読める(底本がちがい、私が読んだ本とはやや異同がある) http://www.aozora.gr.jp/cards/000924/files/49192_39848.html
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