こころ の商品レビュー
大学のときに、授業で「今は私と奥さんが一緒になっていると言われていたり」というのをきいて、何というかすごい話やなと感じたのを覚えている。
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大分前に読んだものを再読しましたが、面白かったです。 先生は何かと自分が行動しない理由を理屈で説明しようとするけど、結局勇気が無かっただけじゃないのと感じてしまう。 この話の後、はたして主人公はどうしていくんだろうと想像するんだけど、何も見えてこない。
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三部に分かれており、二部から三部へと語り手の「わたし」が「わたし」本人から先生へと変るに際して、その語りの内容から、その心の性質の相違性、共通性との双方がよくわかる。三部では、とくに人間のこころのなかの、どうしようもない利己性と倫理感の共存とジレンマをよく描いている。 また、表題...
三部に分かれており、二部から三部へと語り手の「わたし」が「わたし」本人から先生へと変るに際して、その語りの内容から、その心の性質の相違性、共通性との双方がよくわかる。三部では、とくに人間のこころのなかの、どうしようもない利己性と倫理感の共存とジレンマをよく描いている。 また、表題作の『こころ』のみでなく、『文鳥』でも感じたが、語り手である主人公たちの持つ主観的な目線からその傲慢さを感じ取ることができる。それは一人一人の複雑な心の中にある偏った主観であり、丁寧に作品全体を通して一貫して表現されており(もしかしたら漱石自身は、このひとたちの傲慢さを前述したジレンマほど意識的に描いていないのかもしれない)、一人称の語りそのものから人間らしさを味わうことすらできるのである。 一部の、「わたし」が先生の「おくさん」に対して抱く印象が、「女性的な感傷の強さ」から「聡明な知的さ」に移る場面の一連の表現と、三部の、Kの自殺現場の部屋に入ったときの、先生の心の一瞬の動きの表現が、特に良かった。 また、『文鳥』で、漱石が文鳥を女性に重ねての、文鳥のひとつひとつの行動の詳細な記述が、目の前にその文鳥を想像させるほど、上手い。その表現に、漱石の主観的な目線が多くふくまれているからこそだろう。
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無自覚なゲイ文学 漱石は挫折と煩悶を知っているので、判っていなくても本当のことが書ける。 これがいちばん好きです。
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