わたしたちはまだ、その場所を知らない の商品レビュー
中学1年のミナコさんは、その年齢だからこその率直さが残酷でもあり不器用でもあり、大人にも感じました。坂口先生は大人だから器用になるわけではない、若い頃のままの部分があって、ミナコさんのほうが大人に感じる場面も。とは言え先生の部分ではプロの先生でした。 文章が美しくて、何気ない日常...
中学1年のミナコさんは、その年齢だからこその率直さが残酷でもあり不器用でもあり、大人にも感じました。坂口先生は大人だから器用になるわけではない、若い頃のままの部分があって、ミナコさんのほうが大人に感じる場面も。とは言え先生の部分ではプロの先生でした。 文章が美しくて、何気ない日常を書いているところも何度も読み返してしまう一冊でした。
Posted by
中学校国語教員の現実とかけ離れているので「何言うとるかね」ってなってしまった。偏りのない立場で読めたら違ったかもな。
Posted by
この本を読み終わり、母に返すメッセージの何気ない一文がどこか詩の一節になったような錯覚に陥るほど、何気ないものが風情のあるものに変わりました。
Posted by
図書館で直感的に手にした1冊。文章は詩のように抽象的な部分があって、うまく感想やあらすじをまとめられない。
Posted by
読み始めたときと、 読み終わったときの思いが、随分と変化しました。 なかなか好きだった。 いいなぁ。こんな中学生の子がいたら。 って思うのは、自分がもう中学生ではないからだと思う。 大人になってわかる魅力って、たくさんあるんだろうな。
Posted by
これは小説であって小説ではない、詩の気配なのだと思った。ここにいるんだ、わたしは君のすぐ隣にいるんだっていう力強くもひっそりとした気配。そういうのはいつもいつも大通りから少し外れた路地の隅っこで、気を失ったかのように影を消して口をつぐんで、ただ在る。ただ在るものなのだから無視した...
これは小説であって小説ではない、詩の気配なのだと思った。ここにいるんだ、わたしは君のすぐ隣にいるんだっていう力強くもひっそりとした気配。そういうのはいつもいつも大通りから少し外れた路地の隅っこで、気を失ったかのように影を消して口をつぐんで、ただ在る。ただ在るものなのだから無視したっていいのだけど、よくよく見てみると思いのほかくっきりしている。この小説を読んでそういうのがやっぱりいいなって思った。
Posted by
詩に惹かれる女学生と教師の間の不器用な友情を描きながら、この物語には「表現」という営みに纏わるあらゆる感情が消化されている。 「表現」することの喜び、哀しみ、興奮、そしてある種の恥ずかしさ。 この営みは、先人からバトンを引き受けるかのごとく、時代を超えて引き継がれてきた、また...
詩に惹かれる女学生と教師の間の不器用な友情を描きながら、この物語には「表現」という営みに纏わるあらゆる感情が消化されている。 「表現」することの喜び、哀しみ、興奮、そしてある種の恥ずかしさ。 この営みは、先人からバトンを引き受けるかのごとく、時代を超えて引き継がれてきた、また引き継がれてゆくというということを物語を通じて感じ取った。
Posted by
2010.11.25. 好感が持てる。少女が美しいと感じる。ぶどうの棚の下で、詩の朗読会なんて素敵すぎる。
Posted by
小池昌代の詩人の部分と小説家の部分が重なりあって生まれた作品。どこか浮世離れした坂口先生と感性豊かなヤマダミナコ。ニシムラとの不器用な交流も貴重なものに思える。現代詩入門的な部分あり。私も好きな詩人、山之口漠の紹介がうれしかった。 こんな先生も生徒もいてよかった一昔前の中学校の...
小池昌代の詩人の部分と小説家の部分が重なりあって生まれた作品。どこか浮世離れした坂口先生と感性豊かなヤマダミナコ。ニシムラとの不器用な交流も貴重なものに思える。現代詩入門的な部分あり。私も好きな詩人、山之口漠の紹介がうれしかった。 こんな先生も生徒もいてよかった一昔前の中学校の雰囲気がなつかしい。
Posted by
光の当たる場所と影になる場所。学校にはそんな場所がある。職員室。誰も来ない資料室。ひっそりとした裏庭の葡萄棚の下。詩を通して心を通い合わせる一人の女性教師と中学生の男女。それぞれの詩への思いとその不器用な表現を包み込む、ひやりとした影の場所にもやがて光が差し込んできます。
Posted by
- 1
- 2