家族の痕跡 の商品レビュー
男性の所有原理と女性の関係原理、世間、家族システムなど、示唆に富んだ内容でした。働くことは義務ではない、との主張には同意できなかった...。
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「家族」この奇妙な共同体 冒頭《「家族」この奇妙な共同体には、実に多くの矛盾と逆説が詰め込まれている。家族は、絶望であって希望である。》と始まって《「人間」と「家族」だけは、変われば変わるほど変わらない。~私たちはいかにして「家族」と共存しうるのか。~》と終わる本書を読み終えた...
「家族」この奇妙な共同体 冒頭《「家族」この奇妙な共同体には、実に多くの矛盾と逆説が詰め込まれている。家族は、絶望であって希望である。》と始まって《「人間」と「家族」だけは、変われば変わるほど変わらない。~私たちはいかにして「家族」と共存しうるのか。~》と終わる本書を読み終えた後、読者は否が応でも自分の家族を見詰め、自分自身と家族のありかたについて考えざるを得なくなるだろう。 私たち一人ひとりの幸不幸は、好むと好まざるにかかわらず、家族という「ほかのいかなる人間関係よりもマシな形態」の在り方に依存していることを自覚したのだから… 引用した部分の前半に続いて《つまり家族は、絶望であって希望である。人間がそうであるように。》という件があるのですが、同じことを自分自身の言葉に置き換えると「最も理解され認められたい対象は家族であるにも関わらず、真に理解された認められたという感じが得にくく、かつ仮に理解された認められたという感じが得られたとしても満足できない対象が家族なのかもしれない。」と思ってしまいました。 岸見一郎先生が、アドラーの教えとして、原因論ではなく、目的論を説いていますが、やはり、私たちの気質を形作っているものが、家族に起因しないはずはないと思います。アダルトチルドレンはともかく、ダブルバインドは、どんなに健常な親でも、気分が良くない時には、やってしまうのでは… 私が、斎藤環先生の存在を知ったのは、佐藤優さんの『嫉妬と自己愛』に収録された対談でした。これからも、著書を発見したら、手に入れて読みたいと思います。
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元々は月刊紙の連載エッセイだからか、やはり発散的なため「家族についてあの斎藤環がどんな分析するのか知りたい」と思って読むと肩すかし。 例えば「戦闘美少女」のように、ある程度フォーカスがしっかりと絞られた著述の切れ味を期待していたのでガッカリしてしまったが、「家族」なんてそんな簡単...
元々は月刊紙の連載エッセイだからか、やはり発散的なため「家族についてあの斎藤環がどんな分析するのか知りたい」と思って読むと肩すかし。 例えば「戦闘美少女」のように、ある程度フォーカスがしっかりと絞られた著述の切れ味を期待していたのでガッカリしてしまったが、「家族」なんてそんな簡単に扱えるハズもなく、まあ、その絶望的に広大な家族という宇宙のどの辺に星雲があり、どの星をまとめて星座とみなすと良いか、問わず語りにポツポツと話されたものを隣で聞く感じで読めば悪くない。 本書はその後いくつか単著を書くことになるネタ・鉱脈を堀り当てることになった探知機である。そう知って「目のつけどころ」や「発想の広げ方」について楽しむようにすればいい。 ただし、どうしても「病理を通じて浮かび上がる家族という厄介なシステム」についての記述になりがち。 "チャーチルめいた言い回しで恐縮だが、私は「家族」について、「諸悪の根源ではあるが、ほかのいかなる人間関係よりもマシな形態」として理解している。(p. 240)" この言葉に励まされながら読んだ。 萩上チキの解説もいい補助線になる。
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かつて上野千鶴子 は家族の定義の不可能性を説いていたけど、それだけ家族を考えるのは難しいし、個人史になりやすい。 家族、諸悪の根源であり、欲望/価値観が生成する器。この非合理で代替不可能なエディプス三角を最小単位とする不可思議な概念。 様々なジャンルの文献を参照しながらのアプ...
かつて上野千鶴子 は家族の定義の不可能性を説いていたけど、それだけ家族を考えるのは難しいし、個人史になりやすい。 家族、諸悪の根源であり、欲望/価値観が生成する器。この非合理で代替不可能なエディプス三角を最小単位とする不可思議な概念。 様々なジャンルの文献を参照しながらのアプローチと臨床家としての経験を生かして書かれた刺激的な家族擁護論。
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