京都で読む徒然草 の商品レビュー
古典の現代語訳といふものを元来あまり好かない。 あたかも古典のひとびとが感じたものは現代の感覚とは異なるものだとして、現代的に考へると例へるとかういふ感じだ、といつた表面的な解釈の問題であると帰着するのが読んでいて鼻につくからだ。嘘臭く見てしまふのが自分の悪い癖である。 なぜこと...
古典の現代語訳といふものを元来あまり好かない。 あたかも古典のひとびとが感じたものは現代の感覚とは異なるものだとして、現代的に考へると例へるとかういふ感じだ、といつた表面的な解釈の問題であると帰着するのが読んでいて鼻につくからだ。嘘臭く見てしまふのが自分の悪い癖である。 なぜことばをそのままことばとして考へないのか。 古典を現代的に考へる時、それは翻訳と同じで対話してゐるはずだ。書かれたものを辿り、ことばといふ形がもつものを共有する。自分の生きた体験の中でことばが響くと同時に、その体験故にすべてがわからない。わからないものに出会ふ。 対話をするといふことは、他でもない不可解な相手に出会ふことだ。しかし、対話ができるといふこと自体、同じ精神の連続した文脈の中にあることに他ならない。さうでなければどうしてこの相手のことばを受け取れるのか。この不可解なものに出会ふと、ことばを辿つてゐるのか、そのひとを追つてゐるのかわからなくなる。すでに息絶え、遙か昔の忘却に沈んでゐたはずのひとが、すつくと息を吹き返す。 このひともきつとさうした出会ひを徒然草の中でしたのだと思ふ。正直、日本語訳などどうでもいい。彼女といふひとの中で、兼好法師がまた生まれる。泣き笑ひ、何もかも棄てて飛び出したく時もあれば、何もかもが愛おしくて、離れられぬ時もある。割り切れず迷ひ、それでも生きていつてしまへる人間の姿だ。たしかに彼女のみた兼好法師かもしれない。けれど、彼女との対話を通して、再び生まれるには、たしかに兼好法師そのひとが存在してゐなければならない。これは彼女がつくりあげたのではなく、彼女と響きあつた兼好法師そのひとだ。すべてではないが、でも確かに兼好法師そのひとがゐる。 読んでゐて、また兼好法師そのひとに出会ひたくなる。きつと、自分の中で生まれた兼好法師と、彼女の中で生まれた兼好法師がぴつたりと重なるはずはない。だからこそ、また彼のことばに出会ひたい。
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徒然草は授業で習い、大学のときに一度読み返したがさほど頭に入ってなかったようで、久々に読んで面白いと思った。 これはいくつかの段を抜粋して、訳と訳者のコメントが載っているが読みやすい。 榎木の僧侶は懐かしい!怒りっぽかったり、石清水八幡に行って本宮見ずに帰ってくるまぬけな人です。
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徒然草はあまりに有名だけど、そんなに丁寧に読んでいないのが現実。 芥川賞作家の丸山さんのエッセイが各段の後ろに載っていて、わたしと感じたことが同じだったり、正反対だったり、そんなことを思いながら読むのも楽しい本です。
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芥川賞作家松村栄子さんが『徒然草』を抄訳しつつ感じたことを書き綴ったエッセイ。『徒然草』から選んだ現代語訳と原文を記した後に、解説とか感想とかを松村栄子さんが書かれているのだが、これが面白くて一気に読める。また、余韻のあるエッセイなので読み返してみたくなる魅力もある。 京都暮ら...
芥川賞作家松村栄子さんが『徒然草』を抄訳しつつ感じたことを書き綴ったエッセイ。『徒然草』から選んだ現代語訳と原文を記した後に、解説とか感想とかを松村栄子さんが書かれているのだが、これが面白くて一気に読める。また、余韻のあるエッセイなので読み返してみたくなる魅力もある。 京都暮らしの経験者にして『徒然草』ファンである私は、『京都で読む徒然草』というタイトルに刺激されて即購入。衝動的に買った本は裏切られることも多いものだが、この本には満足。偶然出会った人と『徒然草』談義に花を咲かせているという感じがする。この著者の作品も機会があれば読んでみようと思う。
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古典の授業で読んだときはほとんど興味が沸かなかったのに、あれから数十年、なぜにこんなにもすんなりと、しかも面白く読めてしまうのだろう。年齢を重ねてこそ得心がいき、味わえる世界というわけなのだろう。 芥川賞作家の松村さんが、『京都新聞』紙上で現代語訳を連載したものがベースになってい...
古典の授業で読んだときはほとんど興味が沸かなかったのに、あれから数十年、なぜにこんなにもすんなりと、しかも面白く読めてしまうのだろう。年齢を重ねてこそ得心がいき、味わえる世界というわけなのだろう。 芥川賞作家の松村さんが、『京都新聞』紙上で現代語訳を連載したものがベースになっている。 松村さんの現代語訳がいい。直訳ではなく、彼女が慮った兼好の気持ちや当時の風情がふんだんに織り込まれ、とても楽しい。時代背景もよく調べられ、つけられた見出しも言い得て妙。 現代語訳の次に原文、そのあとに松村さんの解説がつけられているが、肩の力の抜けた彼女独自の世界が楽しめる。肯いたりクスッとしたり、何時の世も、変わらないものは人の心だなと嬉しくなった。兼好さんに注がれるやさしい眼差しも心地よいばかり。 あまりにも有名な『徒然草』だけれど、その世界の楽しさを味わうには格好の書ではないだろうか。 ただ、タイトルにつけられた“京都で読む”だが、どこで読んでもさほど変わりはない気がし、京都らしさをもっと前面に出す工夫をしたほうがタイトルに適っている気がする。 それにしても好もしい世界だった。できれば、松村さんの全訳全解説を読んでみたい。兼好さんも大いに賛同してくれると思う。
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