学校の幻想教育の幻想 の商品レビュー
イヴァン・イリイチの「非学校化」(deshooling)の概念を手がかりに、フーコーやブルデューらの思想にも目配りしながら、学校および教育のありかたについてラディカルな問いなおしをおこなった本です。 イリイチの「非学校化」という概念は、たんなる「脱学校化」ではなく、産業社会に生...
イヴァン・イリイチの「非学校化」(deshooling)の概念を手がかりに、フーコーやブルデューらの思想にも目配りしながら、学校および教育のありかたについてラディカルな問いなおしをおこなった本です。 イリイチの「非学校化」という概念は、たんなる「脱学校化」ではなく、産業社会に生きるわれわれ自身の学校志向を総体的に把握することをねらいとしており、学校空間だけにその問題を局限することができるようなものではありません。それは、彼が「人間」ではなく「ジェンダー」という観点から、社会をとらえなおす見かたを示したのと同様に、産業社会に対する包括的な批判を可能にするものです。 そのことは同時に、「学校化」をめぐる諸問題が、学校の外から権力を批判するような試みではありえないということを意味しています。「学校化」をめぐる問題は、産業社会の全体にゆきわたっており、われわれはこうした権力の内在性を認めたうえで、それを批判する道をさがし求めなければなりません。この点で、権力の外在性を前提としていた従来のマルクス主義の立場からの権力批判は有効ではありません。 著者は、権力の内在性について深く認識していた思想家として、フーコーとブルデューをとりあげ、彼らの思想を参照しています。そして、目的意識的な行為である「プラクシス」ではなく、目的が意識されない「プラチック」を分析の対象とし、ミクロな権力の作用が構成されるしくみを分析するとともに、「非学校化」の可能性について考察を展開しています。
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