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いまも、君を想う の商品レビュー

3.8

13件のお客様レビュー

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2015/04/12

城山氏、川本氏、短歌・河野裕子氏夫君と、なぜか妻を亡くしたご主人の書いたものに気が惹かれる。 私はこれほど思われているだろうか? この本をきっかけに川本氏の本を読むようになった。

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2014/01/15

50代で亡くなった7つ年下の奥様のことを書いた本ということで、私が手に取るのも少し躊躇われたが・・・本の中に散りばめられた思い出がとても愛おしく感じる。今も生活の所々に奥様の思い出があって、それが優しい。 コラージュ風の作品。 「最近、眠る新しい楽しさが加わった。夢で時折り家内...

50代で亡くなった7つ年下の奥様のことを書いた本ということで、私が手に取るのも少し躊躇われたが・・・本の中に散りばめられた思い出がとても愛おしく感じる。今も生活の所々に奥様の思い出があって、それが優しい。 コラージュ風の作品。 「最近、眠る新しい楽しさが加わった。夢で時折り家内に会えること。」とあった時、ふと小町の和歌を思い出した。 うたたねに恋しき人を見てしより夢てふ物はたのみそめてき

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2013/08/26
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

元朝日新聞記者から映画などの評論家となり活躍しておられる著者の文章は淡々としている中で感動的な文章が多いのですが、この本も期待に違わず、2年前に亡くなった妻へ献げる鎮魂歌ともいうべき珠玉のエッセイ集です。学園紛争が華やかだった時代に警察に逮捕され朝日新聞を退職せざるを得なくなったときに婚約中であった妻の「私は朝日新聞と結婚するのではない」として、結婚を決断してくれたところから、明るく多くの人々に愛され、料理が得意、猫が好き、細身でツィギー・ブームの御陰でミニスカートが似合った、そして35年間の結婚生活を経て57歳の若さで癌により死亡。結婚生活のいろんな場面を思い出して綴った鎮魂歌は静かな感動を与えてくれます。藤沢周平、仲代達也、伊藤茂次(詩人)、谷川晃一(画家)ら先に妻を喪った人たちの言葉が出てきますが、いずれも感動的であり、そのように想うことになるだろうということはもの凄くリアルに感じます。藤沢周平の言葉。「そのとき私は自分の人生も一緒に終わったように感じた。死に至る一部始終を見とどける間には、人には語れないようなこともあった。そういう胸もつぶれるような光景と時を共有した人間に、この先どのようなのぞみも再生もあるとは思えなかったのである」(「半生の記」)

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2012/11/14

奥さんが亡くなっていることが前提なので、どのページを繰っても薄い寂寥感が募る。それでも湿っぽさに捕われないのは若いふたりのかわいらしさや臨床に於いての夫婦の思いやりの方に胸を打たれるからだろう。お互いにきちんと向き合ったひとにしか書けないものだと、向き合えなかったことを思い遣る。

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2012/07/24

批評家さんだからだろうか、文章がたんたんとしている。だけどそこに切なさ、苦しさ、つらさと妻への愛を感じる。ネコの事はあんまり出てこなかったかな?

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2012/07/09

奥様とのグアムだったかサイパンだったかの話が印象的。 戦前生まれの主人公にはその土地は気持ちの良い土地ではないが、戦後生まれの奥様にはリゾート地だという事 これこそジェネレーションギャップだよなぁ

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2012/06/25

まず持つ感想が「いい奥さんだったんだな~」。そして、それはやはり著者の愛情あってこそだったのだろうと思う。50代の伴侶を亡くすということは当然ながら切ない話ではあるけれど、読んでいる最中も読了後も、むしろ爽やかさを感じた。葬儀の話、そして(サラッと書いていたけど)著者が他の女性に...

まず持つ感想が「いい奥さんだったんだな~」。そして、それはやはり著者の愛情あってこそだったのだろうと思う。50代の伴侶を亡くすということは当然ながら切ない話ではあるけれど、読んでいる最中も読了後も、むしろ爽やかさを感じた。葬儀の話、そして(サラッと書いていたけど)著者が他の女性に気持ちを移しかけた時の夫人の対応が心に残った。

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2011/12/27

57歳でなくなった妻への思いを切々と綴ったエッセイ。 一言で言うと女々しい内容なのだが これはこれでアリなんだろう。 7歳年下で子供なし。 料理が出来ず(必要に迫られてするようになった) やもめ暮らしは自らの人生、死、妻と過ごした日々を 見つめなおす毎日。 奥さん(当時は交際...

57歳でなくなった妻への思いを切々と綴ったエッセイ。 一言で言うと女々しい内容なのだが これはこれでアリなんだろう。 7歳年下で子供なし。 料理が出来ず(必要に迫られてするようになった) やもめ暮らしは自らの人生、死、妻と過ごした日々を 見つめなおす毎日。 奥さん(当時は交際中)は「マイバックページ」に出てくる 逮捕騒動→懲戒解雇のときも支えとなり 「私は朝日新聞社と結婚するわけではありません」 と言う。 猫好き、台湾旅行、旭山動物園、料理好き 静かな葬儀をする。酒なし。 食道がんにしては珍しく痛みの少ない臨終だったとのこと。 19 ウェストサイド物語、「ジーンズ」の秘密 23 年をとると赤のワンポイントが似合う 25 香水を貰って喜ばない女性はいない 32 カピバラ 50 Y、山利喜かな? 82 大阪でカルチャーショック 作家の猫2、にもでてきていた。 冒頭に社会猫についてのエッセイ。 カラスが懐く話も。 シェーンの服装は女性的。 「善き人のためのソナタ」いい映画 城山三郎の「そうか、もう君はいないのか」もそのうち読もう。 hefurere、へふれれ、ヘフレレ、ヘフレレ←自分識別用簡易タグ

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2011/07/16

評論家・川本三郎さんの亡き妻への追想記。新潮社の「yom yom」に連載された5編のエッセイに新たな書き下ろし3編を加えたもの。ファッション評論家として活躍されていた奥様の川本恵子さんは、食道癌のため足かけ3年にわたる闘病生活の後、アジサイの咲く2008年6月に他界された。享年5...

評論家・川本三郎さんの亡き妻への追想記。新潮社の「yom yom」に連載された5編のエッセイに新たな書き下ろし3編を加えたもの。ファッション評論家として活躍されていた奥様の川本恵子さんは、食道癌のため足かけ3年にわたる闘病生活の後、アジサイの咲く2008年6月に他界された。享年57歳であったという。35年間連れ添い、同じ時代を共に生き抜いてきた7歳年下の恵子さんはいつも明るかったと記している。先立たれたものは、溢れてくる思い出の前にいつも無力だ。そのことがひしひしと伝わってくる内容。 著者の人生を変えた事件を綴った「マイ・バック・ページ」(平凡社、2010年11月)を先に読んでいたおかげで、二人のなれ初めと結婚に至る過程がより強く印象付けられた。夫となる著者が逮捕され、新聞社を解雇されるという事件の渦中で、結婚を決意した21歳の恵子さんの愛情と決断力には恐れ入る。7歳年下とはいえ、おそらくそこに見捨てておけぬものを感じたのだろう。それは母性本能だったのかもしれない。この決断がなければ、こうした著者の追想記が生まれることもなかったのだと思えば感無量だ。

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2011/03/01

 『いまも、君を想う』と題された1冊は追想記である。  追想されているのは、2年まえ57歳で逝った著者の妻。その行間から滲みでているのは、“哀しみを噛みしめるかのような優しさ”とでもいうべき著者の人柄であり生き様である。  文芸・映画評論家として今では有名な著者だが、40年前に...

 『いまも、君を想う』と題された1冊は追想記である。  追想されているのは、2年まえ57歳で逝った著者の妻。その行間から滲みでているのは、“哀しみを噛みしめるかのような優しさ”とでもいうべき著者の人柄であり生き様である。  文芸・映画評論家として今では有名な著者だが、40年前にある殺人事件に連座して、まだ入社3年目だった朝日新聞社を懲戒解雇された過去を知る人は少ない(その事件のことは、来年映画化されるという。主演は妻夫木クンらしい)。私もつい最近までその事件のことを知らなかった。知らなかったからなのだが、  「川本三郎って一体何なんですか」  と、言い放ったことがある。相手は当時「朝ジャ」と呼ばれた『朝日ジャーナル』という週刊誌のスズキという編集記者。私の大学の先輩だった。まだ大学新聞の部員だった私は、スズキ先輩に頼まれて時々朝ジャに“キャンパスねた”を寄稿したりしていた。正直いって世間知らずの天狗だった。  「文章はのらくらして下手糞だし、ねたはいつもつまんないのに、どうしてあんな人のコラムが毎週のように週刊朝日や朝ジャにのるんですか?」  「馬鹿。お前は何んにも解っちゃいねえんだよ。黙ってろ。馬鹿」  そう言ったきりスズキ先輩は黙りこんでしまった。2回も馬鹿呼ばわりされた私よりも、先輩の方がなんともいえぬ哀しい横顔で俯いていたのを忘れることができない。  先輩の次に担当してくれた朝ジャの編集記者もなぜだか同じ名字のスズキさんだった。今思い出すだけでも悶えるほどだが、このスズキさんにも私は、懲りずに全く同じく「川本三郎って一体っ」と毒づいたことがあった。逮捕解雇された時川本さんは、2人のスズキさんと同じ朝ジャの記者で、彼らにとっては、取材対象に過剰にのめり込むタブーに嵌った反面教師であり、公安警察の取り調べに対しても取材源の秘密を守りぬいた尊敬すべき大先輩であったことなど、若かった私は知りもしなかった。  2人目のスズキさんは、私の馬鹿な問いかけには全く答えもしないで、やはり黙って水割りのグラスを見入っていた。カウンターの隣にいる私じゃなくて、なにか遠くを想うような哀しい横顔で、「あ、前のスズキさんのときと同じだ」と思った。新宿ゴールデン街でのことだった。  沢木耕太郎の『檀』は檀一雄の生涯を描いた物語だが、その中にこんなくだりがある。  太宰治の遺児である治子さんが石神井の檀家を訪ねてきたことがある。2時間ほど話して彼女は帰った。彼女が帰った後、どうして見送りに出なかったんだというようなささいなことで檀は家人にむかって怒った。「驚いたのはその後の檀だった。『あの人はね、とても悲しい人なんだ』そういうと、激してきた感情を抑えきれなくなったらしく、ハラハラと涙を流したのだ」  他人からは身勝手にしか見えぬ太宰の内奥の苦悩や、その遺族の悲惨さを他人がわかってあげることは難しい。それを誰よりも深く知っていたのは、坂口安吾とともに無頼派の同胞であり、ある意味で“同類”の檀であったのかも知れない。  このくだりを読みながら私が思い起こしたのは、二人のスズキさんを黙らせてしまった30年前のエピソードだ。私の不躾な言葉がスズキさん達にどんな思いを惹起したのかははっきりはわからない。けれど、元来は物ごとをわかり易く伝えるのが生業である彼らを、思わず黙らせてしまうほど、なにか甚だしくマズいところにまで踏み込みすぎたことだけは間違いない。私の場合、若さは馬鹿さと同義で、身の程知らずの傲慢さと同趣旨であった。今頃気づいてももちろん取り返しはきかない。  川本さんの筆致は徹底して穏やかで、やっぱり“哀しみを噛みしめる”かのようだ。  「家内は料理好きだった」から始まる一文がある。奥さんに先立たれた後、「おぼつかない手つき」でカボチャの煮物やオムレツを作る様子が語られる。納豆や豆腐が好きで、家から歩いて5分のところにある、「いい豆腐屋」で毎朝豆腐を買うのが日課になっている、という。そしてそれに続いてこう記されている。  「家内が亡くなって2カ月ほど経った夏のある日、この店に行くと、おかみさんに『最近、奥さんを見ないけど』と聞かれた。『六月に亡くなりました』と言うと、おかみさんはびっくりした。家内はよくここで豆腐を買って親しく話をしていたという。  おかみさんは、頭にかぶっていた手ぬぐいをとって深々と頭を下げてくれた。私の知らなかった家内がいる。近所の人に親しく記憶されている。そのことがうれしかった」  もう何も言うことはない。  30年前、このひとの文章を「のらくらして下手糞」と言い放って2人のスズキさんを黙らせてしまったことは、私の一生の不覚である。

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