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長新太の絵本の不思議な世界 の商品レビュー

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2010/06/25

この本は図書館の新着リストで見つけたんやったかな-、『ごろごろにゃーん』が表紙に配されているところが、にくい。 冒頭から、長新太の絵本をはげしく罵倒する文章が引用されている。長新太ファン(?)の間では「誰でも知ってる」くらいユウメイなのだそうだが、私は初めて読んだ。安和子とい...

この本は図書館の新着リストで見つけたんやったかな-、『ごろごろにゃーん』が表紙に配されているところが、にくい。 冒頭から、長新太の絵本をはげしく罵倒する文章が引用されている。長新太ファン(?)の間では「誰でも知ってる」くらいユウメイなのだそうだが、私は初めて読んだ。安和子という人の書いた、「子どもへの「追従」」というタイトルの一文。長新太の絵本を、「くり返し見ているうちに」「がまんのできない胸の悪さと憤り」がこみあげ、「最も子どもたちに与えたくない絵本だということを強く感じた」などと書いてあるものである。「まだ退廃への免疫をもたない子どもたちに退廃への親しみをつくり出すことの危険は、まさに身の毛がよだつものがある」とまで書いてあって、なかなかにスゴイ。 これは『月刊絵本』という雑誌の、長新太特集号に、唯一入った批判文だそうである。田島征三が、この号の編集後記で書いているところによれば「長さんの絵に、まっ向からアンチを唱える人にも、登場して貰おうと、八方手をつくしてさがしたが、皆尻ごみして駄目だった。その時、安和子さんが潔く引き受けてくれた」のだという。 こんな真っ向批判を書く人の絵はどんなんかと、この本には安和子の絵も載っている。そこから、「絵本とは何か」の話。 絵本は、「お話に絵がついたもの」という歴史があるらしい。瀬田貞二と松居直という、たぶんこのギョーカイではユウメイな二人による「絵本の意味と役割」という百科事典に載った定義も引かれている。そこに書かれた「絵本とは、こんなもんや」というのに照らすと、 「長新太の絵本は絵本なのか?」 という問いが出てくるというのである。この話が、この本の第1部。 第2部、第3部、第4部は、チョーさん絵本をいくつかとりあげた作品紹介。読んだことがある本も、知らんかった本もあるが、読んだことがある本だといっても、「へえええ、そんなんやったっけなあ」と思ったり、「どんなんやねん、本をみたいー」と思ったり、むかし持ってた本や買った本もあるはずなのだが、どうも本棚にすぐ見当たらない。どこいったんやろ… ここに紹介されてる中で、読んだことない本のうち、一番読んでみたいと思ったのは『ぼくはイスです』、それと『みんなびっくり』。 『みんなびっくり』は、昼寝をしているぞうの尻に、サルがいたずらで目と耳を描き、まるで尻にも顔があるようにしてしまった、という話らしい。 ▼ここでは「絵に絵が描かれる」のである。しかし、多くの読者はそういうふうには、見ていない。「実物のぞうさん」のお尻に小猿が「絵」を描いたと思ってみている。どいらも「絵」なのに、つまり「絵本のぞう」は「絵」であり、そのぞうのお尻に描かれたモノも「絵」なのに、読者は、片方は「実物のぞう」として、片方は「描かれたぞう」として「区別」してみているのである。(p.112) どっちも「絵」、それがいつのまに「ほんもの」と「絵」になるんやろ? チョーさんは、「新聞や雑誌に載っている絵本の批評をまったく信用いたしません」と言っていたらしい。それは、「絵本」といいながら、批評されているのはストーリーばかりで、絵の批評はほんのちょっぴり書いておしまいというものばかりだったからだ。「絵本の批評ならば、せめて三分の二は絵本の批評をしてちょうだい」というチョーさんの思いに、この村瀬の本はかなりこたえたものになっている。 え、あの本、そんな絵やったっけ?と読んでいてずいぶん思った。みたーい欲がわくのである。

Posted byブクログ