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白洲正子全集(第7巻) の商品レビュー

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2023/10/13

『十一面観音巡礼』(1975年、新潮社)と『私の百人一首』(新潮選書、1976年)の二作品を収録しています。 『十一面観音巡礼』は、著者が若いころに、和辻哲郎の『古寺巡礼』を手掛かりに、聖林寺の十一面観音像を鑑賞したときの印象を記すところからはじまります。そのときに受けた強い感...

『十一面観音巡礼』(1975年、新潮社)と『私の百人一首』(新潮選書、1976年)の二作品を収録しています。 『十一面観音巡礼』は、著者が若いころに、和辻哲郎の『古寺巡礼』を手掛かりに、聖林寺の十一面観音像を鑑賞したときの印象を記すところからはじまります。そのときに受けた強い感銘が長く著者の心にとどまり、やがて仏教学者の真鍋俊照の提案で各地の寺をたずね、十一面観音像の巡礼記としてまとめられることになります。 哲学者の谷川徹三が和辻の鑑賞眼を「イデーを見る眼」と評したことはよく知られていますが、具体的な仏像を前にして、精神史的な水脈のひろがりを捉える和辻のまなざしは、余人をもって代えがたいように思います。ただし、仏像を前にした経験そのものに沈潜するという点にかぎっていえば、小林秀雄と親しくおなじような感性の持ち主であった著者のほうが、あるいは勝っているかもしれないと感じます。 『私の百人一首』は、「六十の手習とは、新しくものをはじめることではない。若い時から手がけて来たことを、老年になって、最初からやり直すことをいうのだ」という、著者の友人のことばが紹介され、幼少期から親しんできた百人一首を、あらためて読みなおす試みに取り組んだと語られます。こうした著者の姿勢は、百人一首の編纂者と目される藤原定家の考えにかさねられ、「八十歳になんなんとしていた定家は、むつかしい歌論にはあきあきして、ひたすら平明であることを願っていたのかも知れない」と述べられます。新鮮な気持ちに立ち返って、もう一度百人一首の魅力を発見しようとする著者の読みかたが随所に現われ出ているように感じました。

Posted byブクログ