花田清輝 の商品レビュー
花田清輝の批評スタイルを描き出すために著者の採用する戦略が冴えわたっている。 花田は、現代をルネサンスのような「転形期」とみなし、そうした時代に生きる人間は、二つの焦点をもつ「楕円」的な人間だと考えた。著者は、こうした花田の見解を評価しつつ、時代の多様性を「転形期」という自分の...
花田清輝の批評スタイルを描き出すために著者の採用する戦略が冴えわたっている。 花田は、現代をルネサンスのような「転形期」とみなし、そうした時代に生きる人間は、二つの焦点をもつ「楕円」的な人間だと考えた。著者は、こうした花田の見解を評価しつつ、時代の多様性を「転形期」という自分の考えで割り切ってしまおうとする花田の態度を批判している。 また著者は、花田のゲーテ論にも注目している。花田によれば、ゲーテは『植物の変形』の中で、植物の内の「拡張」と「収縮」の二つの傾向がせめぎあうことで、茎は茎に、葉は葉に、花は花になると考えていた。その際、ゲーテは植物の内に入り込み、拡張・収縮の力学的均衡を保つ「楕円」を、自己の内に感じ取っていた。いわば対象の内に自己を見ていたと、花田はいう。だが、ここでも著者は、ゲーテのような多面的精神を、強引に花田自身の思想に引きつけているのではないかという。世間の印象に反して、花田は存外、自己の内面に目を向けていたのではないか。 だが、これは単純な花田批判ではない。花田の逆説的な批評スタイルをつかまえるために著者が採った、よく練られた戦略である。著者は、花田の仕掛けた罠にあえてはまることで、花田の批評スタイルをあぶり出そうともくろんでいるのだ。 頑強に、自己自身である「楕円」を手放そうとしない花田は、そのような仕方で、戦後社会が荒々しく沸き立つ中で変形を遂げ、生きようとしていたことが、著者によって明らかにされる。それはちょうど、植物の内なる拡張・収縮の力学的均衡が、植物が外形を作り出してゆく変形そのものであることに対応している。花田のナルシズムは、同時に他者を魅了するエロティシズムでもあった。それは、「彼の楕円が、内と外とを流動化する戦略によく堪えうるフォルムだったから」だと著者はいう。 それ以外でも、花田と小林秀雄の批評眼の特質を比較した章などに、鋭い議論が展開されている。
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