俵屋宗達 の商品レビュー
好きな絵師。絵に対する深い考察、大変勉強になりました。平面性、装飾性と豪放磊落と自由闊達 歴史上忘れられていた絵師で評価され始めたのが割と最近なのは知っていたが、当初尾形光琳の方が評価が高かったのは意外だった。その理由も本書を読んでよくわかりました
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俵屋宗達については何も知らなかったのであるが、非常にわかりやすく説明してあった。掲載されている作品がカラーであれば、さらによく理解できたと思う。
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最近、芸術系の本を読みは始めた。新書なので、学術書程読みにくくなく、分かりやすい。とても興味深かった。宗達は、所謂琳派の一人とらえられているが、昔の教科書には確かにそう書いてあった記憶がある。作者は、宗達は尾形光琳には影響を与えたものの、特別な存在としてとらえている。宗達と前衛芸術、マチスとの共通性などは非常に興味深い。
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牽強付会というか強引な論理構成で読むのが辛い。 心象をいくら積み重ねても論考にならない。 俵屋宗達が特出した画家であり、また尾形光琳もそうであったといこうことは良くわかった。
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やはり、宗達は別格か。光琳らが宗達の画を理解しなかったことから琳派が始まったとするなど、鋭い観点に満ちた俵屋宗達論。そうなんだよな、宗達の画は「動いている」んです。だから、風神雷神にも、得体の知れない実在感があるのでしょう。
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とにかく謎だらけですが、大胆でクリエイティブで天才肌の巨人に意欲的に迫っています。規模・内容の充実したRIMPA展を思い出しつつ、改めて図録を眺めました。日本の美術史上、大きな高みを築いた光悦・宗達は、もっと深く知られるべきですね。そして、日本人が好む系譜〜装飾やデザインを追求す...
とにかく謎だらけですが、大胆でクリエイティブで天才肌の巨人に意欲的に迫っています。規模・内容の充実したRIMPA展を思い出しつつ、改めて図録を眺めました。日本の美術史上、大きな高みを築いた光悦・宗達は、もっと深く知られるべきですね。そして、日本人が好む系譜〜装飾やデザインを追求する流れ〜を琳派だけに落とし込まず、スパンを現代まで広げ、骨太に考察した芸術評論にもっと出会いたいですね。
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近代日本美術研究の立場から、琳派成立の歴史的経緯を追いつつ、宗達芸術のエッセンス、琳派画家との相違、海外の画家との類似について鋭く指摘。まったく新しい宗達像を提示する。図版多数掲載。 稀にみる天才性で、日本美術史にその名を残す近世の画家。 一般に琳派の祖と称されるが、 実はその位...
近代日本美術研究の立場から、琳派成立の歴史的経緯を追いつつ、宗達芸術のエッセンス、琳派画家との相違、海外の画家との類似について鋭く指摘。まったく新しい宗達像を提示する。図版多数掲載。 稀にみる天才性で、日本美術史にその名を残す近世の画家。 一般に琳派の祖と称されるが、 実はその位置づけは、後年“奉られた”ものにすぎない。 いったい宗達とは何者なのか、あるいは琳派とは――。 近代日本美術研究の立場から、残された作品群を分析、 琳派成立の歴史的経緯を踏まえつつ、 まったく新しい宗達像を浮かびあがらせる。
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★★★☆☆ 宗達は別格である。 ーーという筆者の直観から始まる本書はなかなか刺激的。 今まで考えなしに使っていた「琳派」という名称の定義を改めて見つめなおすことで、筆者はこれまで琳派の祖と言われてきた宗達を、琳派とは一線を画す存在として捉え直す。 確かに言われてみれば、狩野派などと違って師匠から弟子へと技法や様式を伝承してきたわけでも、親から子へ受け継いできたわけでもない、場所も時代も離れている、宗達、光琳、抱一をひとくくりに「琳派」と呼ぶのはかなりの力技といえる。 それでも素人目にはずいぶんと共通点がありそうな気がするのだが、ひとつひとつ筆者に指摘されると、なるほど確かにそうだ、と膝を打ってしまう。 空間の捉え方や装飾性、マチスとの比較など面白いところはいろいろとあるのだけれど、中でも僕が一番はっとさせられたのは、宗達と光琳の風神雷神図屏風における、雷神の連鼓とショールの関係だ。 連鼓が何なのかわからないという人は(風神雷神図屏風を画像検索するのが一番手っ取り早いような気もするが)いわゆる雷様を思い出してほしい。 雷様が背負っている小さい太鼓を円の形につなぎ合わせたアレが連鼓だ。 連鼓とショールの関係とは、ショールが連鼓の前に描かれているか、後ろに描かれているか、である。 たった、それだけかと思われるかもしれないが、(ぜひ画像で確かめて貰いたい)それだけで全体の奥行きがまるで変わってしまうのだ。 ショールを後ろに描いて奥行きと風を見るものに感じさせる宗達のダイナミズムに対し、ショールを前に描き全体を平面的に見せることで自身の芸術の志向のデザイン的な方向性を顕示する光琳。 抱一や其一らの画風を考えればわかるとおり、僕らが今まで使っていた「琳派」という言葉は、事実上、光琳の確立したスタイルの継承を意味する、 「光琳派」というべきものだったのだ。 もちろんこれは筆者の考えであって、決して定説というわけではない。 だが、琳派とは後世の者が先達を私淑することで継承されてきたのであって、その過程で受け継がれるものは学ぶ者の何を学び取るかという姿勢、視点次第で無数の受け継ぎ方があるわけだから、こういった解釈が可能な幅を最初から持っているといえる。 想像だけど、きっとこの直観を得た瞬間、筆者はさぞ嬉しかったに違いない。 エウレカの喜びに満ちている本はやっぱり面白いよ。
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『RIMPA』も行けなかったしなあ、なんて思い出しながらなんとなく手に取って、最初の章あたりはだらだらと読んでいたが次第に謎の画家宗達にすっかり惚れ込んでしまった(いやもちろん風神雷神はよく知っていたんだけど)。まだ見た事のない絵も白黒の新書の荒い画面から飛び出して来るようで、宗...
『RIMPA』も行けなかったしなあ、なんて思い出しながらなんとなく手に取って、最初の章あたりはだらだらと読んでいたが次第に謎の画家宗達にすっかり惚れ込んでしまった(いやもちろん風神雷神はよく知っていたんだけど)。まだ見た事のない絵も白黒の新書の荒い画面から飛び出して来るようで、宗達の絵の生み出すのびやかな空間を味わいたくてうずうずする。惚れ込む研究者が多いのもまったくもって納得である。彼は孤高で、ほんとうの意味において特別なんだということがよくわかった。
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