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評伝 石川栄耀 の商品レビュー

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2017/12/23

大正期にいまの東大土木を卒業(宮本武之輔と同級生)、その後、名古屋に十数年住まい都市計画を担当し、この間にいまの名古屋の骨格となる都市計画(街路・運河網、商業・工業地等)に貢献した石川の評伝。 若き頃に欧米出張を通じて都市づくり(とくに水辺での公園等、いまでいうアメニティに貢献...

大正期にいまの東大土木を卒業(宮本武之輔と同級生)、その後、名古屋に十数年住まい都市計画を担当し、この間にいまの名古屋の骨格となる都市計画(街路・運河網、商業・工業地等)に貢献した石川の評伝。 若き頃に欧米出張を通じて都市づくり(とくに水辺での公園等、いまでいうアメニティに貢献する空間づくり)への意識を高めたことや、計画の実現のために足で稼ぎ、行政目線ではなく住民目線での調整・説得に奔走したこと等が印象的。 とくに数々の重要な区画整理を実現し、例えば中川運河の開削により名古屋の後背地域の工業発展に貢献したのは特筆すべき。都市政策・物流・産業振興はすべて一体であるべきとも改めて思わされる。 戦後、東京の都市計画課長となった石川は、戦災復興計画を検討することとなる(この中でも都市水辺の公園保全への意識が高かった石川にとっては数々の運河ががれき処理等のために埋められたことは悔しかっただろう)。 都市計画の重要性を世の中に浸透させるにあたり、都市政策についての広告映画を作製したり、小学生むけの副読本を作成したりしたというのも印象的。 多くの道路・街路は実現しなかったとはいえ、広告は規制するだけでなく都市らしいセンスを求めるべきといった独特な思想は今にも通じるし、また新宿・歌舞伎町の区画整理等、一定程度の成果を東京でも残している。 また、実務家としての半生をおえたあと、早大教授として後進の学生への指導(というよりは都市計画思想の継承)にあたったというのも羨ましい。

Posted byブクログ

2010/10/18

 都市計画家、石川栄耀は1893年生まれであり、彼の壮年期は都市計画法が施行された時期であった。先進国へ追いつくために急速に産業化を進め、田畑を産業用地へと転換し、都心部の住宅環境を整備して労働力を集約しつつある時期であった。さらに関東大震災や第二次世界大戦といった町並みをリセッ...

 都市計画家、石川栄耀は1893年生まれであり、彼の壮年期は都市計画法が施行された時期であった。先進国へ追いつくために急速に産業化を進め、田畑を産業用地へと転換し、都心部の住宅環境を整備して労働力を集約しつつある時期であった。さらに関東大震災や第二次世界大戦といった町並みをリセットする出来事が起こり、真に国家主導の都市計画が必要とされた時期であった。 彼は、晩年に、敗戦後の東京の復興計画にも携わっていたが、そこでは人口を制限し、低密度の都市、幅の広い防災道路といった彼の理想の東京を実現することは果たせなかった。しかし、彼が研究をしていた都市の盛り場については、歌舞伎町の土地区画整理事業に関わることで実現することができたといえる。彼が命名した歌舞伎町は現在でも日本屈指の盛り場として続いている。

Posted byブクログ