長篠の戦い の商品レビュー
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※このレビューにはネタバレを含みます
2010年刊。◆織田・武田抗争の帰趨を決めた長篠の戦い。著者は「信長公記」の忠実な解釈を基礎とし、「鉄砲三段一斉撃ち」で武田騎馬軍団に壊滅的打撃を与えたとする「常識的」解釈に疑義を唱える。◇具体的には、戦場視察の徹底等信長の周到な事前準備、多数の鉄砲確保、強固な砦の構築、砦に引き込む(短期的正面決戦を武田軍に強いる)ための別働隊の高速移動、別働隊を分離しても優位に立てるだけの多数の兵数他、地味だが的確・周到な戦術の採用から信長勝利を裏付ける。絵的に映えるだけの鉄砲三段撃ちとは異質な多面的解析は説得力十分。
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「桶狭間」に続く、藤本氏の通説批判。 今回の批判の対象は長篠の戦いにおける「三千挺三段撃ち」。『信長公記』の記述や常識に従って考えれば、絶対にありえない戦術だと筆者は断言する。 その理由は、千挺ずつ同時に発砲させるなど、指揮はどのように行うのか?火縄銃の操作するスピードや火薬の状...
「桶狭間」に続く、藤本氏の通説批判。 今回の批判の対象は長篠の戦いにおける「三千挺三段撃ち」。『信長公記』の記述や常識に従って考えれば、絶対にありえない戦術だと筆者は断言する。 その理由は、千挺ずつ同時に発砲させるなど、指揮はどのように行うのか?火縄銃の操作するスピードや火薬の状態はそれぞれ異なっているのに、すべてを同時に運用するのは不可能、といったところか。 史料の精読により歴史の真実に迫ろうとする藤本氏の実力には毎度の事ながら舌を巻く。
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伊東潤の『武田家滅亡』を読んでから、勝頼贔屓になった。ならば、武田家滅亡の要因となった長篠の合戦をもっと詳しく勉強せねばと手に取った一冊。 勝頼が信長の陣に正面からぶつからざるをえなかったのは、搦め手に背後をとられ、挟撃される危険が高まったためだ。じっとしていては負けを待つ...
伊東潤の『武田家滅亡』を読んでから、勝頼贔屓になった。ならば、武田家滅亡の要因となった長篠の合戦をもっと詳しく勉強せねばと手に取った一冊。 勝頼が信長の陣に正面からぶつからざるをえなかったのは、搦め手に背後をとられ、挟撃される危険が高まったためだ。じっとしていては負けを待つだけ。それよりもいまだ無傷の主力で決戦に持ち込んだほうが勝ち目はあると考えた。 信長は馬防柵や堀などで迎撃の陣を布き、正面から攻撃を受け止めた。このとき火縄銃三千挺三段構えの戦法で、戦国最強を謳われた武田騎馬軍団を壊滅に追い込んだ。というのが、いまのところ通説になっている。 この本はこの通説がいかにおかしなことかを『信長公記』を読み解いて解説している。 正直言うと、ちょっと難しい。 結論は簡単に言うと、三千挺というのは後世の誰かによる『信長公記』の書き換えの可能性が高く、元本に記載のある千挺程というのが実数に近いのではないかということ。 また仮に三千挺と仮定した場合に起こりうる指揮系統の混乱、火縄銃の操作性を考慮した時の難題、地形から考えられる困難などをシュミレーションして、三千挺三段撃ちという通説を退けている。 あと、もう常識となっているのかもしれないが、武田騎馬軍団といっても、それは騎馬隊の突撃によって戦機を開くという、西洋の騎馬軍団のようなものではなく、物資の輸送や迅速な将兵の移動に効力を発揮するもであって、戦車のように敵兵を蹴散らすようなイメージは間違いということ。 だからとくに目新しいことが長篠で展開されたわけではないらしい。 勝頼が負けたのは鉄砲の威力を軽視したからでもなんでもなく、信長の勝利も斬新な鉄砲戦術の賜物でもない。本当の勝因は信長が勝頼の挟撃に成功した戦術にあった。 もうちょっと図解があるとわかりやすかったかな…
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通説では織田信長を讃えるため、鉄砲の三段打ちと馬防柵があげられる。 本書ではそんな通説を丹念な調査で検証し見直している。 本書の論理的な記述は美しく、通説がいかに矛盾に満ちているのかがわかる。 著者の説には賛否があるらしいが、歴史研究者には誠意をもって論じて欲しいもの...
通説では織田信長を讃えるため、鉄砲の三段打ちと馬防柵があげられる。 本書ではそんな通説を丹念な調査で検証し見直している。 本書の論理的な記述は美しく、通説がいかに矛盾に満ちているのかがわかる。 著者の説には賛否があるらしいが、歴史研究者には誠意をもって論じて欲しいものである。
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30年ほど前に高校の日本史で”長篠の戦い”を学んだときから、武田勝頼はなぜあのような戦い方(何度も騎馬隊が柵に受かって突進した)をしたのかを不思議に思っていました。しかし、この本には実際にどのような戦い方をしたかが説明されており、興味深く読むことができました。 最近は、桶狭間...
30年ほど前に高校の日本史で”長篠の戦い”を学んだときから、武田勝頼はなぜあのような戦い方(何度も騎馬隊が柵に受かって突進した)をしたのかを不思議に思っていました。しかし、この本には実際にどのような戦い方をしたかが説明されており、興味深く読むことができました。 最近は、桶狭間の戦いや本能寺の変等、本当はどのような戦いをしていたのを解明して、それらを発表することができるようになってきたので良い傾向だと思います。実際のところは、記録されているような”華々しい”ものばかりでは無かったといことが明らかになっていくと思いますが、事実を知ることが”飾られた歴史”を読むよりも、実際には役立つのではないかと思います。 以下は気になったポイントです。 ・織田軍の各部隊にはそれぞれ銃兵がいて少なくとも500人はいた、信長はそれらを抜き出して臨時に編成する力を持っていたこと、臨時に任された奉行が付けられていた(p35) ・有名な鉄甲船も、それが信長の新発明であったならば太田牛一は信長公記に記録したはずであるが、一言も触れられていない(p40) ・火縄銃の発射準備が長いことを問題にしてきたが、発射準備が人により銃により一定しないという肝心なことが忘れれてきた(p61) ・外国人から見た日本騎馬武者の特徴、1、2)日本の馬は劣っていて、暴れる、3)蹄鉄の代わりに藁沓、4)外国では馬上で闘うが、日本は馬から下りて闘う(p68) ・織田徳川軍の銃兵の有効射程に入るのは、騎馬武者よりも銃兵が先である(p71) ・別働隊は鳶の巣山砦を落とし、長篠城を確保した上に、武田の包囲軍を一掃してしまったので、勝頼は前後を敵に挟まれることになった(p117) ・前後を挟まれた武田軍は、午前11時頃には総攻撃を開始して、午後2時には総崩れになった(p124) ・長篠の戦いにおける死者は雑兵ふくめて2000人であったが、多くは追撃の際に打たれた、一番痛かったのは、信玄以来の上級、中級武将の多くが討死したこと(p129) ・長篠の戦いは戦術革命ではなく、それまでの戦術の流れを集大成したものであり、後世にも引き継がれているもの(p194) ・武田勝頼の気持ちとしては、敵が別働隊に兵力を割いたことは、主力の人数がそれだけ減ったことであり、いずれは挟撃されるのが予想されるので、現在無傷の自軍の主力で敵の主力を叩こうとした(p226)
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タイトルが「長篠の戦い 信長の勝因・勝頼の敗因」となっていますが、信長の勝因・勝頼の敗因を掘り下げた記述はほとんどありません。信長の「鉄砲三千挺三段打ちはフィクションである」との自説を強調するための裏づけ調査の解説に終始した感じがあります。 肝心の信長の勝因・勝頼の敗因については...
タイトルが「長篠の戦い 信長の勝因・勝頼の敗因」となっていますが、信長の勝因・勝頼の敗因を掘り下げた記述はほとんどありません。信長の「鉄砲三千挺三段打ちはフィクションである」との自説を強調するための裏づけ調査の解説に終始した感じがあります。 肝心の信長の勝因・勝頼の敗因については、「勝頼側の敗因は、情勢分析の失敗であり、信長の勝因は、鉄砲だけでなく総合的な戦力差を利用した作戦勝ちだった」と背表紙に記載されている以上の内容がないのが残念です。新田次郎氏の小説「武田勝頼」の長篠・設楽原の戦いの描写の方が、信長の勝因・勝頼の敗因についての示唆に富む仮説を提示していると思います。 勝敗を分けた原因が、「作戦の巧拙」では、歴史的な検証とはとても言えないのではないかと感じます。
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口絵の長篠合戦図屏風(浦野家寄贈資料:豊田市郷土資料館)で武田軍に銃撃される徳川軍の鉄砲隊がこの合戦をよく伝えている。
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私の学んだ歴史っていうのは、妄想に満ちたものなんだと思ってしまいます。とても、分かりやすく納得させられる一冊。
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