史記列伝(全5冊セット) の商品レビュー
『史記列伝』の邦訳本です。 一巻の”はじめに”に記載されているように 「扁鵲倉公列伝」と「亀策列伝」のみ省略されていますので ご注意ください。その他の列伝は全て載っています。 一~五巻までありますが、各人、もしくはテーマに沿って まとめられているため一巻から読む必要はありませ...
『史記列伝』の邦訳本です。 一巻の”はじめに”に記載されているように 「扁鵲倉公列伝」と「亀策列伝」のみ省略されていますので ご注意ください。その他の列伝は全て載っています。 一~五巻までありますが、各人、もしくはテーマに沿って まとめられているため一巻から読む必要はありません。 むしろ、気になる人がいる巻から読み進めることができるので 非常に気楽、かつ読みやすいです。 しかもどの巻にも有名どころの名前がたくさん載っているので、 老子、荘子、孫子、呉子あたりが読みたいのなら一巻、 キングダムで有名な武将・知将等が知りたいのなら二巻と 読みたいところだけ摘まんで読める点もいいところだと感じます。 私が好きなのは二巻の「刺客列伝」と五巻の「貨殖列伝」です。 特に、「貨殖列伝」で取り上げられている范蠡の話は先見の明と、 転身の素早さが本当に見事で、これぞまさに処世術と思わせてくれます。 また「貨殖列伝」は財を成した人だけの話だけではありません。 土地や風土の特性や特徴が書かれ、土地柄どのような人が多く、 どのような気質の者がいるかといった、日本でいうところの県民性が 実に細かく記されています。 農業に励む地域もあれば、励まない地域もあったりと 名産品も土地によって様々で、当時の人々の生活が分かるような内容と なっています。 いずれにせよ、話の最後に必ずある、 ”太子公曰く”が個人的に一番の見所です。 司馬遷の見解に、なるほどと思うこともあれば、 いやそれはちょっとと感じたり、この締めあっての 「史記列伝」だと感じます。 読めば読む程、昔の偉人たちを知ることが出来るのはもちろん、 司馬遷の評価基準もどんどん分かっていくので 何度読んでも面白い伝記集です。
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「史記 衛将軍驃騎列伝を読む」 北方謙三「史記」と並行して関連人物の原文も読んで行きたい。司馬遷自体は、李広に比べ衛青や霍 去病を良くは書いていないと云う。それは同時代人に対する司馬遷の好悪の反映であると同時に、武力を濫用しむやみに戦争をした武帝を暗に批判したのだと言われている...
「史記 衛将軍驃騎列伝を読む」 北方謙三「史記」と並行して関連人物の原文も読んで行きたい。司馬遷自体は、李広に比べ衛青や霍 去病を良くは書いていないと云う。それは同時代人に対する司馬遷の好悪の反映であると同時に、武力を濫用しむやみに戦争をした武帝を暗に批判したのだと言われている。はたしてどうなのかは、のちのち検討したい。 衛青は妾腹で奴僕として扱われた。たまたま腹違いの姉が武帝の妾になったために妬みを買い、衛青は皇后の母に捕らえられ殺されそうになる。助けられて出世するが、注目されたのは元光五年(前130年)、四人の将軍の中で一人のみ匈奴を討ったからである。元朔元年また、討つ。衛青は大将軍となる。元朔五年(前124年)衛青の部下の蘇健が遠征途中、匈奴の単干の大軍と遭い一人逃げ帰る。衛青は厳罰に処すべきという意見と、そうしたら逃げ帰ることも出来なくるから処すべきでない、という意見とに対して、武帝の判断を仰ぐことにした。武帝は誅殺はせずに罪を赦し蘇健は平民となった。 このエピソードを読み、直ぐに気がつくのは李陵との比較である。 武帝の方針に反して申し出た戦いに敗れた限り自刃すべきところを、李陵が投降したという報に触れ、怒った武帝は臣下に処罰を下問した。皆が李陵を非難する中、司馬遷はただ一人彼を弁護した。司馬遷は李陵の人格や献身さを挙げて国士だと誉め、一度の敗北をあげつらう事を非難した。「5000に満たない兵力だけで匈奴の地で窮地に陥りながらも死力をふりしぼり敵に打撃を与えた彼には、過去の名将といえども及ばない。自害の選択をしなかった事は、生きて帰り、ふたたび漢のために戦うためである」と述べたのである。この弁護によって、司馬遷に屈辱の宮刑が下る。 もちろん、李陵と単純に比較は出来ない。しかし、史記には至るところにこのような武帝批判に「繋がる」記述があるようだ。 この列伝では、霍去病の列伝にもなっている。彼も天才的な武将で次々と軍功を挙げる。 霍去病に対しては「わかくして侍中たり、貴くして士を省みず。(略)士に飢うる者有り」等々と才気煥発だが、部下を大事にしないことを強調している。一方、衛青に関しては「人となり仁善にして退譲、和柔を以て自ら上に媚ぶ。しかれども天下未だ称するあらざるなり」人柄はいいのに、評価は低い。なぜなのかは、「和柔を以て自ら上に媚ぶ」に尽きる。自己の保身を第一にしたように司馬遷は思ったのだ。結局蘇健に対する評価でイマイチだったことが繋がっているのだろうか。小説はどうなるのだろう。 そして最後に司馬遷自身が蘇健からこういうことを聞く。 蘇健はかつて衛青に、天下の評判がよくないことを責めて「賢者の登用をするべきでは」と言った。衛青は「それは君主がすること。臣下は法を守り、職務に忠実であればいいのだ。人物の招聘など関わるベキでない」と言った。霍去病もその考えに同調していた。 「その将たること、かくのごとし」 こう書いてこの列伝を閉じている。 司馬遷や蘇健にとっては、衛青や霍去病は「尊貴の位職」で賢者を招くことも仕事のひとつだが、本人にとっては最後まで自分たちは「武人」にすぎなかったのである。そのことが、司馬遷の意図を離れて伝わってくる。もちろん、司馬遷は当時の常識では自分が正しいと思っていたのである。しかし、現代の私には衛青の方が「誇りある生き方」のような気がする。おそらく北方謙三も同じ意見なのではないか。 2013年7月10日読了
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