平塚らいてう評論集 の商品レビュー
平塚を読み女性主義について考える。この主義の根本にある母性、恋愛、愛とはいかなるものか。それらは本能とくくられて無前提に用いられている感はあるものの、所々でその定義を見出すことが出来る。具体的に考えるには半世紀以上前に絶版になっているエレン・ケイの著作に当たらねばなるまい。 平...
平塚を読み女性主義について考える。この主義の根本にある母性、恋愛、愛とはいかなるものか。それらは本能とくくられて無前提に用いられている感はあるものの、所々でその定義を見出すことが出来る。具体的に考えるには半世紀以上前に絶版になっているエレン・ケイの著作に当たらねばなるまい。 平塚の思想とその変化を時間で追いながら知り、雰囲気をつかむのに好適な一冊。戦争の前に斃れた女性主義の思想は、絶対的な価値なき今日の時代に一条の光を投げかけるものである。
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速読出来ない。奥が深い。 不幸かな、昔から現代にいたるまで、 根本的な問題が何一つ変わってない。 このままでは、日本があぶない。
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平塚らいてうは、今から123年前の1886年2月10に東京に生まれた思想家・評論家。 「元始女性は太陽であった」はあまりにも有名な言葉ですが、これは性差別や男尊女卑の抑圧された社会から女性の自我の解放を目指した、日本初の女性文芸誌「青鞜」の創刊の辞でした。 世間から冷たい眼で見...
平塚らいてうは、今から123年前の1886年2月10に東京に生まれた思想家・評論家。 「元始女性は太陽であった」はあまりにも有名な言葉ですが、これは性差別や男尊女卑の抑圧された社会から女性の自我の解放を目指した、日本初の女性文芸誌「青鞜」の創刊の辞でした。 世間から冷たい眼で見られ嘲笑されても、投石されスキャンダラスにまみれても屈しなかった平塚らいてう、どうかするとはるか昔の明治時代の女権拡張論者のようなイメージで考えがちですが、とんでもない、85歳まで生きてベトナム反戦運動も闘って、1971年に永眠したのでした。 たしか7年程前、たまたま訪れた東京は神保町の岩波ホールで、羽田澄子監督作品『元始、女性は太陽であった・・・平塚らいてうの生涯』を上映していたので、躊躇せず当初の約束を遅らせて、飛び込んで見たことがありました。 私の中では、彼女は日本で初めて女性による女性のための雑誌「青鞜」を創刊した女性解放の闘士という、いかついイメージが先行していましたが、わずか14秒の動く映像としての平塚らいてうを見て、そして19歳のとき禅に出会って精神と身体を解き放って揺るぎない境地に到達したり、森田草平と心中未遂や年下の画学生・奥村博史と恋愛、未入籍の結婚・出産などなど、単なる男勝りの突っ張っているだけの人ではなかったことを思い出しました。 挿入されている周辺の人びとの証言で、自分の家の周りでデモをするなんてみっともないとか、あっ、そうそう瀬戸内寂聴師匠が、結婚は個人の結びつきが大事で法律に認められる必要はないという平塚らいてうの見解に対して、つまり姑はいやだというんですよ、あつかましい話でしょう、と答えていたり面白いものがありました。 それにしても、『元始、女性は太陽であった』が出たのが明治44年ですから1911年、わずか98年前に、よろい・かぶとをまとって一人の女性が宣言しなければならなかったほど、女性は人間として認められていなかったという現実を、思い知らなければならないと思います。 収められている代表的評論36編は、心配していたほどではなく、比較的短く読みやすい文章ですし、彼女の思想の発展過程に応じてまとめられていて、そして編者の米田佐代子のわかりやすい解説によってより鮮明に理解できる構成になっていて、見事な編集だと思いました。 ともかく、どれほど世間の批判にさらされても信念を曲げず、自ら結婚制度や家制度を否定するからには戸籍上も我が子を私生児にすることもいとわないという徹底ぶりに、私にはとても出来ないと消極的に思う反面、自分で自分の生きる道を決然と選んで切り開くという生き方に憧れ、ものすごくカッコいいと思う気持ちも湧いてきます。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ わたしたちは、 いつでも現実を視る鋭い眼と、 遥かな未来を見透かす長い眼と、 心の内側を凝視する、 かつて瞬きをしたことのない深い眼と この三つの眼をもって 生きたいと思います。 「人類にひとつ言葉を」平塚らいてう
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