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日本と朝鮮半島2000年(上) の商品レビュー

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4件のお客様レビュー

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2018/10/20

日本と朝鮮半島の歴史を古代から解説。古代から日本と朝鮮半島は人間の交流があったのだ。任那日本府とはもう言わないのだとわかった。また、伽耶という国があったという。知識が新たになったな。

Posted byブクログ

2017/01/16
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

2010年刊行。  特段の新規情報はないが、蘇我氏氏寺飛鳥寺は、百済古都扶余にある王興寺が源流らしい。  しかし、いくらNHKの出版物とはいえ、韓流ドラマの紹介を載せるなんて…。落ちたもんだなぁ、まったく…。

Posted byブクログ

2011/10/09

2009年に放映された同名のETV特集は私も欠かさず見ていた。この本はその番組のブック化である。本になると、そこから零れ落ちた話題も入っている。また、本を読んで改めてなるほど、と思ったことも多い。あまり専門的ではないが、一方では最新の知見が得られるという利点もある。ということで、...

2009年に放映された同名のETV特集は私も欠かさず見ていた。この本はその番組のブック化である。本になると、そこから零れ落ちた話題も入っている。また、本を読んで改めてなるほど、と思ったことも多い。あまり専門的ではないが、一方では最新の知見が得られるという利点もある。ということで、読んでみた。いか、なるほど、と思ったところ(ちなみに私の興味を持っているのは古代のほうなので、一章二章の感想しかありません)。 ●勒島には水平な縁取りを持つ弥生土器、抜歯の人骨が出るなど、北九州在来の人の骨があった。一方、壱岐の島には朝鮮半島系の遺物が多く存在する。この頃は、日本とか韓国とかの違いはない。東亜大学のイ・トンジュ助教授が解説する。 ●全羅南道の栄山江流域には13もの前方後円墳が存在する。すべて5-6世紀のものである。 ●前方後円墳の存在は何を語るか。 広開土王は四世紀末に金官加耶国を一時蹂躙する。このあと、金海は衰える。そうなると、五世紀になって栄山江流域から須恵器や鉄を導入したのかもしれない。大和政権だけでなく、北部九州や西日本も行った。王権レベルとは違う交流があった。この頃はまだ大和王権は全国支配をしていなかった。 ●和歌山県の隅田八幡宮には継体天皇と百済の交流を裏付ける「人物画像鏡」がある。 ●咸安は安羅加耶があった国。此処の高台に安羅高堂会議が開かれた遺跡がある。任那復興会議の場所である。日本からやってきたのは、的臣(いくはのおみ)、吉備臣、河内直(かわちあたい)、移那し(えなし)、麻都(まつ)など現地在住と加耶人との間に生まれた人物(父親は渡来系氏族、母親は百済人か加耶人)も参加している。彼等は安羅に一時的に滞在していた倭人なのか。彼等は役人というよりか、ひとつの集団。しかし540年ごろ、任那復興会議は失敗する。それまでは独自の外交が出来ていた吉備などの地方豪族は、562年に加耶が新羅によって滅ぼされ、次第にそういう自由がなくなっていく。吉備の衰退はこの頃から始まっていたのかもしれない。

Posted byブクログ

2011/10/02

 日本・韓国・中国は、古代より現在まで続くながく古い隣人である。その古代の関係を見直す新しい所見を提示している本書は、面白いと感じた。  1973年の日本の教科書では、古代の朝鮮半島南部の大半を任那としていたが、2009年の教科書では任那はカッコ書きとなっている。1980年代に韓...

 日本・韓国・中国は、古代より現在まで続くながく古い隣人である。その古代の関係を見直す新しい所見を提示している本書は、面白いと感じた。  1973年の日本の教科書では、古代の朝鮮半島南部の大半を任那としていたが、2009年の教科書では任那はカッコ書きとなっている。1980年代に韓国南部での発掘調査が相次ぎ、日韓両国で研究が進んだ結果だ。  当時の超大国である中国の文字・仏教・建築技術・美術・医薬品等が百済を通して日本に伝わった過程の研究が進んだことにより、まだ国家以前であった日本と朝鮮半島、中国との関係が今見直されている。  日本にとってはじめての「文明」の導入だろうが、技術のみがきた訳ではないだろう。おそらく多くの人々が日本に来て、そのまま残ったはずである。  長野の善光寺で、一光三尊阿弥陀如来像は絶対秘仏とされ、誰も現在は目にすることができないそうだ。百済の仏像だそうである。現在でも権威を持つ秘仏は、いつどのようにして誰が運んできたのだろうか。いろいろ想像すると興味は尽きない。  東アジアというと日本・中国・韓国を指すその構図が初めて成立したのが6世紀末で、その構図は今でも同じである。その研究は現在と将来を考える点でも大きな意味を持つ。  研究が進むことで、古代における東アジアの諸関係の見直しはさらに進むだろう。本書では、日本・韓国・中国の関係は、先進国から後進国への文明の伝播などという単純なものではなく、それぞれの国情に合わせて、それぞれの国のリーダーがどのような進路を選択したのかがいろいろ想像される段階に来ている様子がうかがわせる。やや、学術的で難しい点も多いが、興味深い書であると思う。下巻が楽しみである。

Posted byブクログ