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魔術的リアリズム の商品レビュー

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2023/11/10

https://calil.jp/book/4891941693 PARCO出版局(1988-03)

Posted byブクログ

2022/11/05

魔術的リアリズムは別の本で名前だけは知っていたけど、それを掘り下げるにはマイナーな分野である。第二次産業革命後の技術革新と戦争不安でわちゃわちゃしてる時代の文化ってめちゃ魅力的。日本の文豪の時代とか、今の感覚でなかなか生まれない面白さがあった。背伸びしすぎて前提知識足りんかったけ...

魔術的リアリズムは別の本で名前だけは知っていたけど、それを掘り下げるにはマイナーな分野である。第二次産業革命後の技術革新と戦争不安でわちゃわちゃしてる時代の文化ってめちゃ魅力的。日本の文豪の時代とか、今の感覚でなかなか生まれない面白さがあった。背伸びしすぎて前提知識足りんかったけど、ちょっとだけ魔法使えるようになりました。部分的に再読したい。

Posted byブクログ

2020/10/10

魔術的リアリズム、新即物主義。日本ではそれ自体がマイナーな派閥ではある。しかしそんなマイナーな派閥の中でも筆頭格として名を挙げたベックマン、カーノルト、ディクス、グロス、ショルツらではなく、本国でもマイナーな気味(らしい?)な画家たちにスポットライトを当てている。 シュリンプフや...

魔術的リアリズム、新即物主義。日本ではそれ自体がマイナーな派閥ではある。しかしそんなマイナーな派閥の中でも筆頭格として名を挙げたベックマン、カーノルト、ディクス、グロス、ショルツらではなく、本国でもマイナーな気味(らしい?)な画家たちにスポットライトを当てている。 シュリンプフやグロスベルク、ヴァッカーをはじめとした日本では中々お目にかかれない彼らの貴重な日本語資料。有難い。 しかし少し触れられたディクスの箇所に誤りがありました。彼は左派ではありません。作品についての解釈が寛容であり、左派の友人たちも多かっただけで、本人は政治的な立場を明確にすることは避けていました。こちらは1988年に神奈川近代美術館等で開催された『オットー・ディックス』展の図録で確認が取れます。

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2012/05/04

「魔術的リアリズム」種村季弘 20世紀ドイツ芸術について。暗褐色。 ノイエ・ザハリヒカイト(新しい即物性)。一次大戦からナチスの台頭までに表れた。 工業技術の発展を背景に、“人びとの情熱は昼よりは夜に、現実よりは夢に向う。” 1923年5月、マンハイム美術館にて企画された未開...

「魔術的リアリズム」種村季弘 20世紀ドイツ芸術について。暗褐色。 ノイエ・ザハリヒカイト(新しい即物性)。一次大戦からナチスの台頭までに表れた。 工業技術の発展を背景に、“人びとの情熱は昼よりは夜に、現実よりは夢に向う。” 1923年5月、マンハイム美術館にて企画された未開催の展覧会の回状にて、『新即物主義』の名前が初出。 “ここ十年間に、印象主義的分解にも、表現主義的抽象にも組さず、またもっぱら有意味的に外的でもなければ、もっぱら構成的に内的であるのでもなかった、そのような芸術家たち~” “ポジティヴに具体的な現実に断固として忠実であり続けた~そのような芸術家たち” 背景には、印象主義(impression)の外観性/表現主義(expression)の精神性に反立する、新しい時代のモノから投影されたヒトの姿、無機質な没個性を描くムーブメントがあった。 いずれにせよ1918~1933頃の、ドイツ芸術の傾向のみにとどまったのである。 後表現主義としての立位置(フランツ・ロー/抜粋) 醒めた対象、宗教的命題極めて少ない、静力学的、うすい色層、記述的 もう三崎亜記ドンピシャ。だと思う。 フランツ・ローによれば、それは印象主義(的リアリズム)と表現主義の双方の「浸透」から成るものであった。 印象主義的、乃至表現主義的、な傾向は過去繰り返し用いられた主題であるところに、第三の命題として、客体の主格化がきた。世界に対する我々ではなく、世界が我々に対する?

Posted byブクログ

2012/01/10

芸術は魔術。 私は芸術はよくわからないが感動は人並みにする。リアルな絵画はフィクションではあるが虚偽の感動は起こさない。それは真実の感動であり、涙は流れ落ちる。

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