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小山内薫 の商品レビュー

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2010/09/15

 このたび復刻なった久保栄の『小山内薫』(影書房)は1946年の初版だから、64年も前の書物となる。ところが、私はこれを現代の書物として読むことができるし、またそうでなければならない切迫したものを手渡されるのである。  私がなぜ、むかしから少しばかり小山内薫(1881-1928)...

 このたび復刻なった久保栄の『小山内薫』(影書房)は1946年の初版だから、64年も前の書物となる。ところが、私はこれを現代の書物として読むことができるし、またそうでなければならない切迫したものを手渡されるのである。  私がなぜ、むかしから少しばかり小山内薫(1881-1928)にこだわるのかというと、スタンリー・キューブリック、ミック・ジャガーなどと並んで、私自身と誕生日の同じ著名人であるという、そんな、ばかばかしい偶然によってではもちろんない。そうでなければ、小山内がその若き修業時代にかかわり、漱石の『猫』などを初演したことで知られる、日本橋の真砂座(主宰 伊井容峰)のあった街に引っ越す、などという酔狂ができるわけがない。  私は、市井のしがない一演出家に過ぎないが、それでも、演出のなんたるかに心を砕き、思い悩み、またそれで飯を食らう毎日を送っている。小山内薫という人は、その〈演出〉ないしは〈演出家〉という語を発明(もっともそれは、私淑したスタニスラフスキーから個人輸入した概念ではあるが)した張本人である。彼は1928年、47歳の時に志半ばで死んでしまっているのだから、総指揮をつとめた映画『路上の霊魂』(1921)のようにフィルムが残っている例はともかく、彼自身による〈演出〉を、私たちは永遠に見ることはできない。しかし、彼が演出をめぐって命が縮まるほど悩んできた悩みは、依然として私たちの問題でもあるのだ。妥協なき批判的評伝といえる本書で、久保は次のように書く。  “ 小山内の分け方に従って、対象へ色や形を当てはめる芸術態度を第一の型と呼び、対象からそれを抽き出すやり方を第二の型とすれば、それは誰でも二つの型の混合体には違いないが、その主となる方向から見て、自由劇場の協力者のうち、鴎外と左団次とは第一の型に属し、(…中略…)小山内ひとりがそれもほぼ文章を除いた舞台の仕事の限りで第二の型に属したのである。”(本書74頁)  ここで久保の書き残した第一の型、第二の型の区分に則すならば、私自身は、気分的理想の上では第二、実際的な作業の進め方の上では第一の型に属する人間であると自己分析している。そしてこの分析結果が、長年にわたるジレンマとなって、私自身を苦しめてきたのである。  “ 一般に芸術家が第二の型となるのには、或る期間の厳密な系統だった基礎デッサンの習得が必要である。方向を理解しただけでは駄目なのは、逍遙に『浮雲』が書けなかったのでも分かる。(…中略…)日本の近代劇運動は、先ずイプセンの後期の象徴劇から始まったが、その後、明治四十三、四十四年という空気のなかで、演劇史の順序を逆に、自然主義へ遡った。(…中略…)小山内は今もいう協力者たち(荻野注 鴎外と左団次のこと)との様式上の矛盾に苦しみながらも、舞台のうえの写実の技法を一歩一歩身につけ、さらに向こうの優れた先例(荻野注 モスクワ、ベルリン、パリの同時代の演出技法のこと)に学んで磨きをかける機会をもったのである。”(本書76-77頁)  この本に書かれた問題提起のいくつかは、また日を改めて再考すべき重要なものだと考えている。小山内薫 - 村田実 - 溝口健二という日活的系譜を捏造することもできるし、小山内薫 - 牛原虚彦 - 大久保忠素 - 小津安二郎という松竹的系譜を想定することもできるが、いまはただ、原初的な演出の問題が、依然として未解決な大疑問を提供し得ることを、衝撃をもって受け止めるばかりである。

Posted byブクログ