ブッダはなぜ女嫌いになったのか の商品レビュー
ブッダは王子として生まれ、子宝に恵まれながらも 子供が生まれたその日のうちに家族を置いて出家した。 その後は修行し、やがて遍く衆生を愛したが、 特定の一人の女性を深く愛することはなかった。 それはなぜかを問いかける本書。 仏教は他の宗教とは異なり、ブッダは神ではなく 人です。だ...
ブッダは王子として生まれ、子宝に恵まれながらも 子供が生まれたその日のうちに家族を置いて出家した。 その後は修行し、やがて遍く衆生を愛したが、 特定の一人の女性を深く愛することはなかった。 それはなぜかを問いかける本書。 仏教は他の宗教とは異なり、ブッダは神ではなく 人です。だからこの視点は面白い。 基本的なストーリーは以下。 ブッダの実母は出産してまもなく亡くなり 年がそんなに離れていない継母に仲良くしてもらい育った ブッダが年頃になった時にその継母は父の嫁になり 代わりにブッダの周りには遊女が集まるようになる そうして成長した青年はやがて嫁をもらうが、自分で選んだわけではなく政略的な結婚だった これらのことから著者が推察したのは、ブッダは母の姿を投影して継母に愛を募らせたが、それが実ることはなく、いくら遊女や美しい嫁ができても心動くことはなく、やがてそれは苦しみとなりブッダを出家に駆り立てたとするもの。 少々、本当か?と思う点はあるが、異性を愛するという点において仏教が本能と真逆のことを推奨しているのは確かに興味深い。 仏教では1人の人を深入りして愛しすぎるなと言うが、それはそれでさみしい気はする。
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丘山だなんて珍しい苗字だなと思ったら、恩師丘山新先生の奥様でいらっしゃいましたか。音楽家なんですね。 丘山新先生は原始仏教を研究していらしたので、ブッダに関してこんなに理解が深いのでしょうね。
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- ネタバレ
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[ 内容 ] ブッダとは「悟った人」の意味だが、その悟りへの歩みは、生後間もない息子に「ラーフラ(=邪魔者)」と名付け、妻子を置き去りにして出奔することから始まった。 「人とかかわるな、交わるな」と説いたブッダは、「女の究極目標は相手を縛り支配すること」と断じ、女の出家に最後まで難色を示し続けた。 ようやく尼僧を許可した後も、女の存在が仏法を駄目にすると愚痴って弟子を悩ませる。 この徹底した女性への警戒心、恐怖感はどこからきたのか。 原始仏教経典を精緻に読み込むことで見えた、生みの母、育ての母、妻との愛に苦悩する、知られざるブッダの姿。 [ 目次 ] 経典の話 第1章 マーヤー―「まぼろし」という名の母(「まぼろし」という名の母;ブッダの父母の家系―シャカ族とコーリヤ族 ほか) 第2章 マハーパジャーパティー―許されざる愛(マハーパジャーパティーはブッダの乳母、養母だったか?;シッダッタと異母弟ナンダの年齢差が語ること ほか) 第3章 ヤショーダラー―捨てられた妻(ブッダはなぜ、出家したか―出家か家出か;妃の家系~極悪人デーヴァダッタとのかかわり ほか) [ POP ] [ おすすめ度 ] ☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度 ☆☆☆☆☆☆☆ 文章 ☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー ☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性 ☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性 ☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度 共感度(空振り三振・一部・参った!) 読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ) [ 関連図書 ] [ 参考となる書評 ]
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聖☆お兄さんの「29の夜」のギャグがよくわからなかったけど分かるようになりました。イエスよりブッダのことのほうが知らないことが多いみたい。仏教のほうが身近なはずなのにね?(あ、でも幼稚園はキリスト教だった。刷り込まれているのかな?)ブッダに興味がわいてきました。
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音楽の専門化が書いたとは思えない、深い仏教への造詣。 新しいブッダ観を提言し、面白く読ませるなかに、 深い仏教への帰依を感じる。 新感覚。
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釈迦の女性関係を分析していて、スキャンダラスではあるが、誰かを落としめるわけでもなく、不快にはならない。どこかの大学の先生かと思ったら、本職は音楽家とのこと。 好きこそ物の上手なれ、極めるとはここまでやらねばならぬのだなと、わが身を反省した次第です。
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