西田幾多郎 世界のなかの私 の商品レビュー
対象が中学生ということ、要所の文とその解説が細かく繰り返され、今まで読んだ西田哲学本で一番わかりやすかった。 純粋経験と自己→反省から自覚、あなたやものや世界があることで私がいる。 ただこれを読んで、神や仏(、さらに自分)は自分が見聞きしたり純粋経験を経てきた中で自分の中に作られ...
対象が中学生ということ、要所の文とその解説が細かく繰り返され、今まで読んだ西田哲学本で一番わかりやすかった。 純粋経験と自己→反省から自覚、あなたやものや世界があることで私がいる。 ただこれを読んで、神や仏(、さらに自分)は自分が見聞きしたり純粋経験を経てきた中で自分の中に作られるもの、というのが西田哲学と離れてわたしが思えたこと。正否は問わないけどそう考えることができただけでもためになった。 252冊目読了。
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西田は哲学は驚きではなく、人生の悲哀、つまり悲しみから始まると考えた。 西田は人生を通じて哲学をした。その哲学は人生を問うものだった。 当たり前すぎて考えたことがないかもしれないけれど、私がいるということは必ずどこかの場所にいるということなのだ。 有であるすべてのものの根底に無を...
西田は哲学は驚きではなく、人生の悲哀、つまり悲しみから始まると考えた。 西田は人生を通じて哲学をした。その哲学は人生を問うものだった。 当たり前すぎて考えたことがないかもしれないけれど、私がいるということは必ずどこかの場所にいるということなのだ。 有であるすべてのものの根底に無を考える立場なのだ。私たちが生きているときというのも、一瞬一瞬に帰依、一瞬一瞬に生まれる。非連続の連続だ。 自己の奥底の計り知れない深みに気づく人がいる。自己とは何か、世界の中にいる私とは何であるかに気づく人がいる。 病気の時も健康の時も私たちは生きている。悲しい時もうれしいときも、起こっているときも喜んでいるときも私たちは生きている。
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