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政治家田中角栄の敗北 の商品レビュー

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2010/10/24

田中は官僚たちを手なづけて、億単位異常の金で大蔵省を丸ごと買収するようなことをしていた。 田中のよっしゃ!とは新潟の馬食たちの言葉だった。 1982年正月の角栄邸には鈴木総理以外の自民党議員のほぼ全員が来た。2トントラックのキッチンカーでおつまみが運ばれてきた。 三木が一部の派閥...

田中は官僚たちを手なづけて、億単位異常の金で大蔵省を丸ごと買収するようなことをしていた。 田中のよっしゃ!とは新潟の馬食たちの言葉だった。 1982年正月の角栄邸には鈴木総理以外の自民党議員のほぼ全員が来た。2トントラックのキッチンカーでおつまみが運ばれてきた。 三木が一部の派閥による肥大化は目に余ると発言し、二階堂は挙党体制でやっていくと反論。一触即発の状態で、岸が間に入ってとりなした。 鈴木退陣の知らせを知っていたのは宮沢、田中、中曽根くらい。 田中・岸会談が決裂して以降、田中の側近に田中、大平、鈴木の三内閣をつぶしたのは福田だ、と息巻いていた。 田中は事前に話しがない、角抜きで話しが進められつつあった。 田中派幹部も目白に聞かれたらつぶされるとわかっていた。 田中の自民党支配、国政支配が中曽根選挙で問われていた。河本、安倍、中川は反田中。しかし、中曽根が大圧勝し要職はすべて田中派だった。 田中も自民党組織の8割はおれとつながっている。田中の悪口を言ってどうして党員の支持が得られるんだ、予備選の中曽根の圧勝はその結果だと自負していた。 田中の政治力神話が陰りが見え始めた。田中と中曽根のバランスが変わった。 田中派が強いのは官僚OBを一番多く抱えているから。自民党が負けても田中派は増える仕組みとなっていた。

Posted byブクログ