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経済学への道 の商品レビュー

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2023/02/19

経済学者佐和隆光の自伝。あとがきに、自伝を書く事は誰にとっても楽しく誇らしい行為、自らも最も楽しかった著作だと。自分自身と真正面から向き合い、そこに眠る経験や知性を掘り出し、時系列で体系化する。なるほど、それは人生を確認すり所作であり最高の仕事に違いない。 著者と共に著者の人生...

経済学者佐和隆光の自伝。あとがきに、自伝を書く事は誰にとっても楽しく誇らしい行為、自らも最も楽しかった著作だと。自分自身と真正面から向き合い、そこに眠る経験や知性を掘り出し、時系列で体系化する。なるほど、それは人生を確認すり所作であり最高の仕事に違いない。 著者と共に著者の人生を振り返りながら、時代により変容する経済学の存在や影響を確認する。一人の目を通しての歴史書。つまり、彼にとって有意である事象を並べたオリジナルなトリミングや配列を辿る。誰しもの印象に残るような多数決の年表ではないからこそ、味わい深い。 明治の頃から法科万能と言う言葉があり、行政側の主流は法科出身者によって占められてきた。日本の官僚の任務は与えられた結論を正当化することにある。与えられた結論の合理性、効率性、公正は二の次にまわされ、正当化のための屁理屈作りに、官僚は精魂を傾ける。ー著者の正義感が、こうした事象を意識する事により、著者の個性が形成される。 また、単に自叙伝を覗くのではない、学問の体系の学び直しにも有用だ。例えば、マルクス経済学の講座派と労農派の2つの学派についてつい。両派の対立は戦前から続いていて、その当時の日本を半封建制社会であるとするのが講座派。資本主義社会であるとするのが労農派。明治維新をブルジョア民主主義革命とするのが労農派。江戸時代にはブルジョアジーは育っておらず、故に明治維新をブルジョワ民主主義革命とみなすわけには行かないとする講座派。 明治維新以降の日本は資本制社会には至っておらず封建的遺制の存続する半封建制社会であるとするのが講座派。天皇制は半封建制の象徴とも言うべき制度。ブルジョワ民主主義革命によってまず資本制社会を作り上げ生産力と生産関係の矛盾を顕在化させた上で、さらに社会主義革命を行う必要がある2段階革命の必要性が講座派の主張。他方、労農派は資本制社会は江戸後期から存在していて生産力と生産関係の矛盾は顕在化しているから、革命は1段階で充分だとする立場。佐藤優が以前説明していたが、改めて理解が深まる。 他には、1967年から世界的規模で燃え盛った大学紛争について。学術研究のあり方、大学制度そのものへのラディカルな批判。ことの発端は東大医学部学生たちによるが、1960年に閣議決定された所得倍増計画は、確実価格を産業経済に従属させることを政府の公式見解として定めたことにより、大学のあり方確実科学研究のあり方の1つの大きな歪みをもたらしたと著者は私見を述べる。有用性の尺度で学術科学の価値を測ると言う悪しき風潮。人文社会科学を冷遇し、産業に貢献する理工系学部を優遇する。総合大学に芸術学部を設けず、芸術は単科大学に封じ込める。こうした実学偏重主義の伝統は明治にまで遡るが、政府見解として公式に明言したのは池田内閣の所得倍増計画が最初だったのだと。 1972年のあさま山荘事件により大学紛争には終止符が打たれた。その頃、70年代前半期難しい書物が爆発的に売れた。学生たちが好んで読んだのは、サルトル、ボーヴォワール、モノー、ステント、フーコー、デリダ、ハイゼンベルク。70年代前半は日本の知的高揚期。知性主義が満ち溢れ、マルクスに代わる新しい知の体系を人々は求めていたのだという。 自分の記憶ではない、著者の過去だ。生まれてもいない、脈絡もない。しかし、懐かしさと共に個の歴史への連関性を感じ、日々の暮らしや選択に新たな文脈が生じ、深みを増すような思いだ。

Posted byブクログ