ルオー礼讃 の商品レビュー
ルオーを思い出したように惹かれ、まず手に取り読んだ。ルオー礼賛というタイトル通り、ルオーを敬愛する著者始め数人の知識人、文化人たちがルオーに対する愛をいろいろに語る。最後は対談形式の内容が続く。 個人的にはルオーに初めて触れたのは、ブリジストン美術館である。2010年ぐらいにフ...
ルオーを思い出したように惹かれ、まず手に取り読んだ。ルオー礼賛というタイトル通り、ルオーを敬愛する著者始め数人の知識人、文化人たちがルオーに対する愛をいろいろに語る。最後は対談形式の内容が続く。 個人的にはルオーに初めて触れたのは、ブリジストン美術館である。2010年ぐらいにフォービスムに関する展示会があってマティスとかブラックなんかと共に並んでいた。『郊外のキリスト』『裁判所のキリスト』があったと思う。とても印象的であったが、その時は記憶にとどめるほどでまた別の関心に向かっていた。そう、初めてのブリジストン美術館だったのだが、モネの睡蓮の連作にいたく感動した時だったはず。 ルオーに関してはその後、遠藤周作を深めている中で彼のキリスト観からルオーのキリストにたどりついたのだ。横浜で遠藤周作典を見たとき、彼の書斎に飾ってあったキリストの『聖顔』の一つがそこに飾ってあった。『沈黙』などで語られる、弱きに寄り添うキリスト。奇跡などとはかかわりを持たない、死にゆくなかで愛を示すことしかできなかったキリスト。そんな人々に踏まれて磨滅した、踏絵にも重なるようなキリスト像がそこにはあった。これが私とルオーとの本当の出会いだったと思う。 今回はふとしたきっかけでルオーの『ピエロ』を見たという人の話を聞いて、突然内から沸騰するようなルオーに対する、一種異常な熱が起こった。自分でも不思議である。そのままこの書を手に取り読み始めた。なんとも断面として語られるルオーであるが、そのどれもが愛情深く、言葉も一つを選びオッカムの剃刀よろしく、余計な修辞もそぎ落とし上品に描かれる。対談でのいまいちかみ合わないようなやり取りも、それぞれの思い入れの表れであると思う。ルオーがレンブラントとセザンヌを尊敬していた、という件が嬉しかった。信仰という糸で繋がる喜び。この休みにはブリジストン美術館にもう一度足を運ぶ。 14/6/18
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