私はマイノリティあなたは? の商品レビュー
3週間前の「“いのち”と刑事司法~裁判員制度と死刑~」というシンポジウムへ行ったときに、出たばかりだというこの本のチラシをもらい、図書館へリクエストしていたら思ったより早く本がきた。 チラシをくれた人から、難病で、「在日」の、自立障害者、という話を聞いた私は、「難病」というと母...
3週間前の「“いのち”と刑事司法~裁判員制度と死刑~」というシンポジウムへ行ったときに、出たばかりだというこの本のチラシをもらい、図書館へリクエストしていたら思ったより早く本がきた。 チラシをくれた人から、難病で、「在日」の、自立障害者、という話を聞いた私は、「難病」というと母の病気のことを思い出してその難病は特定疾患なんですかと訊いたのだが、そんなのは知らない、そんなことは関係ないと言われて、もうひとつ意味がよくわからなかった。特定疾患というのは、数多くある(ほんとうにたくさんある)難病、つまりは原因不明で、治療法も確立していないという病気のうち、国がカネを出して調査研究をしているものである。 著者の李清美(イ・チョンミ)さんは、15歳頃からの病気に加え、アーノルド・キアリ症という難病を発症して、今まで話してきたことを介護者に残しておきたいという思いから、この本を出そうと思ったのだという。 私はこの病気を初めて知ったが、症状は相当きつい。これまでどおりの生活を続けていけるのかという不安をもちながら、生い立ちや自立生活を始めた前後の話、自立生活の先輩たちのことなど、聞き取りを一年、それからテープ起こし、編集とやって、二年がかりで作られた本。 さいしょは、介護者のために冊子をつくるというくらいの気持ちだったのが、本にして出そうと思うようになったのは、李さんが自分のことを語りながら、自分より若い障害者のことを考えたから。 ▼今、養護学校を卒業した重度「障害」者には、施設に入るか、家族の世話になりながらデイケアセンターや授産所に通うか、という選択肢しかないと思います。けれども、「健常」者社会から押し付けられた選択肢以外の道もある、自立「障害」者がいて、こんな生活を送ることもできる、ということを知ってもらいたいのです。(p.8) 李さんは「はじめに」でこう書いている。もちろんこの自由は待っていて手に入るものではない。本の中に縷々書いてあるように、「自分で闘い勝ち取っていかなければならないもの」だ。リスクもある、しんどいことだらけでもある、それでも自由を手放すことはできない、と李さんは書く。 自立生活までの話や李さんのオモニの話もすごい。映画「こんちくしょう」(http://www6.plala.or.jp/asobigumo/pg58.html)の話のなかで、オモニが昔は石を投げられたり殴られたりしたというのは、先日聞いた聾者の田畑さんの話を思い出した(田畑さんも子どもの頃に石を投げられたり棒でつつかれたりしたと話していた)。 自立したあとの生活の中でも、さまざまな事件があり、「それはないでしょ!」という運動があった。JRのサンダーバード事件(障害者、というか車椅子ユーザーが使える席がひとつ、それにもいろいろと我慢ばかりさせられる条件があり、JRとの交渉で善処が約束された)を読んで、JRといえば、母が車椅子を使うようになってから、乗車券の割引のことでものすごく嫌な対応をされて、JR西日本に抗議の手紙を出したことがあったなあと思い出した。 李さんは主に学生の介護者を入れて生活を続けているらしい。それは京都市内という大学がかなり密集している地域だから学生が続くのか、それにしてもすごいなと思いながら読んだ。私が知ってるところでも、学生の卒業は入れる介護者が減ることが多く、自立生活の存続の危機になる(通称「4月危機」)。勤めるようになってからも介護に入る人が少しいて、そういう人たちが介護をして、学生は途絶えるというのしか見たことがなかった。 李さんは、学生はドタキャンしたりもするし、手もかかるけど、外の風を持ってきてくれる、介護者との一対一の関係を作れる可能性があって、そこに自由を感じている、と書く。プロは至れり尽くせりで、いらいらさせられることもないけど、それは居心地がよくない、と書く。そういう考え方もあるのか、と思う。 読み終わって、たしかに李さんの難病が特定疾患かどうかなんてのは関係ないのだということはよくわかった。李さんが望むように、この本が、自立をめざす若い障害者たちに届けばと思った。
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