1,800円以上の注文で送料無料

ならず者たち の商品レビュー

3.8

4件のお客様レビュー

  1. 5つ

    1

  2. 4つ

    1

  3. 3つ

    2

  4. 2つ

    0

  5. 1つ

    0

レビューを投稿

2017/04/30

2001年の9.11後の情勢を踏まえた「来るべき民主主義」論の深化とのこと。デリダの訳の分からない議論のなかでは「来るべき民主主義」の話しは、とても大きな刺激を受けているし、曲がりなりにも、9.11以降のテロリズムやアメリカの外交政策については、いろいろ問題意識をもって、考えてき...

2001年の9.11後の情勢を踏まえた「来るべき民主主義」論の深化とのこと。デリダの訳の分からない議論のなかでは「来るべき民主主義」の話しは、とても大きな刺激を受けているし、曲がりなりにも、9.11以降のテロリズムやアメリカの外交政策については、いろいろ問題意識をもって、考えてきたつもりである。きっと、理解できるはずである。 と思って、読んでみたが、これが見事に、全然分からない。デリダ、恐るべしだな。 きっと、「脱構築」についで、「来るべき民主主義」という言葉が、分かりやすいキャッチフレーズとして、広く流布したことへの反動であろうか、ここでのデリダは、極めて、難解である。 ある意味、初期のテクストの訳の分からない脱構築をやっていたときのなつかしのデリダが帰ってきた、という感じかな? フランス語における「ならず者)(vouyou)という言葉の意味をかなりくどくどと分析したり、過去の自作の議論を前提として、どんどん話しは、ぶっ飛んで行ったり、やりたい放題である。用語的にも、「脱構築」「差延」「メシア的」「歓待」などなど、デリダ語のオンパレードである。 という意味で、デリダ哲学の総決算的なニュアンスもあるのかも。 それにしても、こんな訳の分からない本、しかも、フランス語の翻訳不能な語呂合わせ満載の本を訳した翻訳者のご苦労はいかばかりと思う。 でも、この本、読んで分かる人って、日本に何人いるんだろうか?

Posted byブクログ

2012/06/28
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

J・デリダ『ならず者たち』みすず書房、読了。ならず国家を糾弾する合衆国がそのものへ、民主主義を守る為にそれを殺すアルジェリア-「強者の理由がいつでも正しいことになる」ことを主権概念の再検討から浮き彫りに。「自己免疫的な自殺」に注目し、「来るべき民主主義」を構想する晩年の主著。 とても読みやすいとはいえぬ一冊ながら、「民主主義」と切り離しがたい仕方で現前する国家主権の根源的な暴力性と、その変容可能性からの展望はさすが! アクチュアルな政治問題を取り上げるのは、チョムスキーのおはこだが、それを哲学の根本問題にまで引き戻す手腕はデリダにはかなわない。 「民主的と呼ばれる体制においてさえ、主権の根底には存在-神論がある」。デリダは『ならず者たち』で、主権概念の背景にキリスト教神学が存在することを示唆するが、同書ではそれ以上のえぐりは展開されていない。

Posted byブクログ

2012/05/07

言いたい事は二項対立で考えるからおかしくなる、と言う事につきると思う。 ただ他で言われるように若干受動的なニヒリストであり、他者を苦しめる言葉で自分の首を絞めているような印象。哲学というより文学寄りなので、主張の偏りを感じた。

Posted byブクログ

2010/05/07

 本書は「ならず者」の名を徹底的な分析の俎上に載せつつ、「来たるべき民主主義」をその緊急性において考え抜こうとするデリダ晩年の代表作と言えよう。まず「ならず者」の意味論的分析に関しては、この語が語源的に「街路」に関係しているとの指摘が非常に興味深い。街路に徘徊する「ならず者」。ボ...

 本書は「ならず者」の名を徹底的な分析の俎上に載せつつ、「来たるべき民主主義」をその緊急性において考え抜こうとするデリダ晩年の代表作と言えよう。まず「ならず者」の意味論的分析に関しては、この語が語源的に「街路」に関係しているとの指摘が非常に興味深い。街路に徘徊する「ならず者」。ボエームから郊外の反抗者たちまでの寄生者たち。  また、デリダの「来たるべき民主主義」の思考が、他の哲学者たちの思考と対照されている点も注目されるべきだろう。「来たるべき民主主義」を考えることは、しばしば同一視されるカントの統整的理念の想定とは異なっている。統整的理念が、理性的な主体の努力に依拠しているのに対して、「来たるべき民主主義」は、他者の予測不可能な到来につねに開かれることを指し示していて、それ自体としては「不可能なもの」であるが、にもかかわらず緊急に要請されているのだ。そこにあるのは、ナンシーの言う「兄弟愛」でもないし、さらに鵜飼哲の解説によれば、「来たるべき民主主義」は、ランシエールの考える、代替可能で対等な者たちの「不和」にもとづく「民主主義」とも異なっている。  では、「来たるべき民主主義」の思考が理性的な主体の権能に依存せず、同等な主体によって分有され得ないとするならば、そこにあるのは非合理主義的な理性の放擲なのか。デリダによれば、けっしてそうではなく、「来たるべき民主主義」の思考は、理性の可能性の条件とも言うべき無条件性を、理性のうちに呼び覚ますのだ。それは無条件の歓待や赦しの可能性を開き、理性に自己自身を思い起こさせるのである。そして、無条件性を具えた理性であることを現実に引き受けるのは、分割不可能な至高性としての主権であり、その力こそが、それ自身「ならず者」と化した超国家的権力に立ち向かいうるのだ。しかもその力が発揮されるには、「理性に理性を働かせなければならない」。具体的には、無条件の歓待や赦しの余地を私たち自身が切り開いていかなければならないのである。  「ならず者」が語られること自体のうちに内在する問題を炙り出しながら、「来たるべき民主主義」をその緊急性において考え抜こうとするデリダの『ならず者たち』。それは今なお急を要するものであり続ける世界的状況へ差し出された彼の晩年の代表作であると同時に、その状況へ立ち向かう私たち自身の、「理性」を担うべき「メシア的」力を思い出させる書物でもある。

Posted byブクログ