知覚の現象学 新装版 の商品レビュー
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[ 内容 ] サルトルとならび戦後思想の根底に計り知れぬ影響をもたらした著者の記念碑的大著の全訳。 近代哲学の二つの代表的な立場、主知主義=観念論と経験主義=実在論の両者を、心理学・精神分析学の提供する資料の解釈を通じて内在的に批判するとともに、両義的存在としての「生きられる身体」の概念を回復し、身体=知覚野において具体的・人間的主体の再構築をめざす。 [ 目次 ] 緒論 古典的偏見と現象への復帰(「感覚」;「連合」と「追憶の投射」 ほか) 第1部 身体(客体としての身体と機械論的生理学;身体の経験と古典的心理学 ほか) 第2部 知覚された世界(感覚すること;空間 ほか) 第3部 対自存在と世界における(への)存在(コギト;時間性 ほか) [ 問題提起 ] [ 結論 ] [ コメント ] [ 読了した日 ]
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空間を知覚するということは、ある場所に身を置くということ、体を持つということ、何かを為すということ、心(意識)を持つということであり、生きるということ全ての前提となる問題である。著者は、科学的な緻密さと詩的な伸びやかさを兼ね備えた筆致で空間—身体—意識の間に張られた堅牢な垣根を飛...
空間を知覚するということは、ある場所に身を置くということ、体を持つということ、何かを為すということ、心(意識)を持つということであり、生きるということ全ての前提となる問題である。著者は、科学的な緻密さと詩的な伸びやかさを兼ね備えた筆致で空間—身体—意識の間に張られた堅牢な垣根を飛び越え、空間にまつわる固定観念を鮮やかに書き換えていく。自分がいま空間に向かう中で感じている、容易に説明のできない様々な経験の網の目に、キラリと輝くような、一本の糸が通されていくのを感じる。 空間と空間論の限界は、客観的形態としての空間と、主観的内面としての人間をきれいに区別し、悦に入っていることにはじまる。空間の価値は人間によって判断されていることは動かない。にもかかわらず、この片割れを敢えて伏せて話をしなければならないのが現代の状況のようで、メルロ=ポンティが与えてくれる勇気と知恵は、自分にとってとても意味の大きなものとなりそうである。
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