愚の力 の商品レビュー
親鸞聖人の教えがちりばめられている。愚か者になる。あるがままを受け入れる。 時々自分の行いがどうか気付かせてくれる本である。
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お墓参りの帰りに買いました。 日々生きている中で考えない忘れていること、思いつかないこと、浄土真宗、仏教を通して改めて考えてみたいなと思いました。 ダライ・ラマとの対談もとても興味深かったです。
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現代の問題として取り上げられる事象が、著者が直接対峙した物ではなく、TVや雑誌を通して得た物ばかりだから、それに対する認識や対処法も曖昧・抽象的であるように感じられた。 著者が意図的に曖昧に表現しているのか、または著者の文章力が足らないために曖昧になっているのかもしれない。 どち...
現代の問題として取り上げられる事象が、著者が直接対峙した物ではなく、TVや雑誌を通して得た物ばかりだから、それに対する認識や対処法も曖昧・抽象的であるように感じられた。 著者が意図的に曖昧に表現しているのか、または著者の文章力が足らないために曖昧になっているのかもしれない。 どちらにしろ、現代をことさら悪い時代であるように触れ回り、人々に罪の意識を植え付け、ブッダのシンプルな教えにちょこちょこ手を入れる辺りに、宗教で食べていく人の生きる知恵を見た気がする。 それなりの立場にいるのに、問題提起ばかりで、具体的な施策を講じない所から、団塊の世代臭さ、鳩山由紀夫臭さを感じた。 と、信者ではない僕は罰当たりな感想を持ってしまった。信者の方々向けの本だと思う。 ダライ・ラマは良かった。
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浄土真宗西本願寺門主が記した仏教入門。 評者は外部のことに振り回され、すかすかの一日を生きていることがストレスの種で、大谷氏のように内側を観ていく覚悟に憧れる。 すごいなーと感心してばかりもいられない、自分にとっての優先順位を考えさせられる一冊。
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[ 内容 ] 法然聖人が提唱し親鸞聖人が実践した「愚者」という生き方は、わたしたちに多くのヒントを与えてくれる。 「愚」をキーワードに、西本願寺24代門主が、わかりやすく説く宗祖・親鸞の教え。 本書は、まるで末法の時代の人々のように、不安の日々を暮らす現代人にとっての人生の書である。 [ 目次 ] 第1章 不安の時代を生きる-生死の苦海ほとりなし 第2章 私はいただきもの-世々生々の父母・兄弟なり 第3章 人間は死ぬものだ-往き易くして人なし 第4章 親鸞聖人の生き方-悲しきかな愚禿鸞 第5章 末通らぬ者として-おのれが能を思量せよ 第6章 愚者になる-小慈小悲もなき身にて 終章 ダライ・ラマ十四世との対話-仏教とは何か [ POP ] [ おすすめ度 ] ☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度 ☆☆☆☆☆☆☆ 文章 ☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー ☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性 ☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性 ☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度 共感度(空振り三振・一部・参った!) 読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ) [ 関連図書 ] [ 参考となる書評 ]
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<印象に残った点> ・「平成業成」という考え方・・・往生は普段から決まっている。死ぬ間際に往生が決まるわけではない。
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真宗の本願寺派門主による現代人への所感と真宗の紹介。 「末通らない」というキーワードはユニークかつ、よいかもしれない。 思い通りにならないし、できない、がその上の立ち向かい方はどうあるべきか。 ダライラマとの対談があるけれど、 より積極的でラジカルなダライラマを自分の言葉で 収...
真宗の本願寺派門主による現代人への所感と真宗の紹介。 「末通らない」というキーワードはユニークかつ、よいかもしれない。 思い通りにならないし、できない、がその上の立ち向かい方はどうあるべきか。 ダライラマとの対談があるけれど、 より積極的でラジカルなダライラマを自分の言葉で 収めようとする著者のやり取りがなんとも言えない味わい。 かくて末通らぬもの。
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オノレを過信せず感謝して生きようというところか。 良いことを言っていると思うが、そのままやれるとは思えない。 ただ、自分の手の届く範囲でできることをやっていれば、それなりにヨシと認めてくれそうな視点で、安心感が持てる。 こうしなければダメ、価値がない、と言われちゃうと反発する...
オノレを過信せず感謝して生きようというところか。 良いことを言っていると思うが、そのままやれるとは思えない。 ただ、自分の手の届く範囲でできることをやっていれば、それなりにヨシと認めてくれそうな視点で、安心感が持てる。 こうしなければダメ、価値がない、と言われちゃうと反発するからね。 迷いがあるときは、いろんな人の意見を聞くと良いと思うけど、そのうちの一つに入れると、選択が穏やかになりそうな一冊です。
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基本的に信仰心は強くはない。しかし学問としての宗教は興味深い。 禅問答に代表されるように仏教という宗教は逆説的だ。 宗教家の言質に論理性は感じられないが、情緒の部分で多くの日本人の支えになっているのだろう。 不安定な時代を集団で耐え抜くためには、宗教が必要か。
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●物質的には恵まれない時代に生きた人々が思いもしなかった豊かさの中で、物質的には恵まれない時代を生きた人々が感じたことのない息苦しさを感じているのが現代人 ●みんなが同じ価値観でないと不安でしょうがないのです。私たちはそれほど孤独の中を生きているのかもしれません。 ●不安の時代を...
●物質的には恵まれない時代に生きた人々が思いもしなかった豊かさの中で、物質的には恵まれない時代を生きた人々が感じたことのない息苦しさを感じているのが現代人 ●みんなが同じ価値観でないと不安でしょうがないのです。私たちはそれほど孤独の中を生きているのかもしれません。 ●不安の時代を生きるには、不安であってもその不安を簡単に解消しようとはせず、不安に耐えることが必要なのです。 ●大事にされるとか、信頼されるとか、自分のしたことによって周りの人がよろこぶとか、そういう手応えがないと、愛されているという実感を人は持てないものです。 ●あらゆる世界にという方向性を持った「十方衆生」という言葉を胸に響かせてみてはどうでしょうか。 ●人生は誰もが思い通りにはなりません。思い通りにならない自分のあり方を問い直すきっかけをたくさん持つことができれば、それは他人事ではない、「切なる生き方」につながります。 ●死を契機として得体の知れないものが自分の中にあることが感じられるようになる。あるいは、自分が自分として普段考えている存在とは違うものと知らされる。死を縁として気づかされるとはそうしたことです。 ●私たちは本来的にそうした矛盾を抱えざるを得ない生を生きているのです。何事もすべてということはあり得ないと知ること、つまり有限性の自覚、それが「愚者」になるということです。 ●「思い通りにならない」ことが苦であると同時に、「思い通りにしようとする」ところに苦が生じる。 ●仏教とはなにか?「すべては苦である、即ち、『一切皆苦』を前提として、世の中を理解するのが仏教なのです。 ●真の意味で相手の身になるのは難しい。善意であればあるほど難しい。他者の苦悩に対する感受性が鈍ると人を傷つけることに直結します。善意が一番厄介です。自分自身が善である、善人であるという思いが問題なのです。 ●物理法則や市場原理、あるいは政治力学やキンユウテクノロジーなどといったことが、この世界を動かす原理とされています。親鸞聖人が出遭った真実など排除したほうが便利に生きられるのです。便利に生きることこそが価値だと思い込んだとたん、便利に生きられるけれども便利以外何もなくなってしまう。そしてあれほど大事であったはずであった自分ですら、人生を渡るための便利な乗り物・道具にしかすぎないものになってしまうわけです。それがニヒリズムの行き着くところです。
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