「恥の文化」という神話 の商品レビュー
第二次大戦後にルース・ベネティクトが書いた「菊と刀」という本。著者曰くはこの本は「巧妙に練り上げられたプロパガンダの書」であり、アメリカによる原爆投下を正当化するための本だったとし、その歴史と政治的背景を述べて痛烈に批判する一冊だ。 日本人の精神的背景を書いた本かと思って手にと...
第二次大戦後にルース・ベネティクトが書いた「菊と刀」という本。著者曰くはこの本は「巧妙に練り上げられたプロパガンダの書」であり、アメリカによる原爆投下を正当化するための本だったとし、その歴史と政治的背景を述べて痛烈に批判する一冊だ。 日本人の精神的背景を書いた本かと思って手にとってみたが、かなり事前に勝手に想像していた内容とは印象が違った。しかし文章の引用が多く、しかも引用元は海外の学者や思想家達の文献のため非常に読みづらく、読み終えるのに時間がかかってしまった。 教訓を得たとすれば、大国相手でも政治的信条に堂々と異議を唱えることができる世の中であるというありがたさと、歴史は勝者の目から語られるのが常である、ということか。
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日本人論だと思われていた『菊と刀』は、実は原爆投下を正当化するプロパガンダだったと唱えたもの。 著者は、アメリカの拡張主義を説明するために、さまざまな時代の言説を、その時代背景をはぎとって、現代の視点から解釈して引用しており、いささか軽率だと思う。 西洋の権威がなくなり、日本...
日本人論だと思われていた『菊と刀』は、実は原爆投下を正当化するプロパガンダだったと唱えたもの。 著者は、アメリカの拡張主義を説明するために、さまざまな時代の言説を、その時代背景をはぎとって、現代の視点から解釈して引用しており、いささか軽率だと思う。 西洋の権威がなくなり、日本もムラ社会から無縁社会になった今、『菊と刀』を読むとバカバカしく見えるのかもしれない。
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ベネディクト批判よりも、なぜ日本人はこれほどまでに浅薄な『菊と刀』を大事にしたがるのか、という問題意識のほうが重要です。しかしこの本ではそういった考察がほとんどなく、残念です。『菊と刀』が政治的プロパガンダの書物であったという事実は、相当まえからいろんな人に指摘されていることです...
ベネディクト批判よりも、なぜ日本人はこれほどまでに浅薄な『菊と刀』を大事にしたがるのか、という問題意識のほうが重要です。しかしこの本ではそういった考察がほとんどなく、残念です。『菊と刀』が政治的プロパガンダの書物であったという事実は、相当まえからいろんな人に指摘されていることです。なのでいまさらという気がしますが、それでもこんな本を書くのは勇気がいります。晃子の批判精神は称賛されてしかるべきです。 ひとつ気になるのは、フランスの反米を多用していることです。日本人の反米意識をよろこばせることにつながるのかもしれませんが、本質からはズレています。資料のつかいかたがちょっと変わっています。さらにはなしがそれますが、魔女狩りについて、フランスの『ラルース大百科事典』に記載されているものを紹介しておきましょう。 「アメリカ合衆国で、朝鮮戦争およびその後(1950~1953)、官公庁、大学、ジャーナリズム、映画界で、コミュニストとコミュニズム支持者の疑いがあるとみなされた人々の除去・排除の企て(1692年にマサチューセッツ州セーラムで起きた魔女裁判を想起させる表現)。既成の秩序・価値を覆すと判断された政治的意見または活動の疑いありとされたすべての人々の当局による訴追と排除」 晃子の解説はこうです。 「世界周知のことだが、十三世紀から十七世紀にかけて、ヨーロッパでは魔女狩り・魔女裁判で少なく見積もっても数万人といわれる犠牲者が火あぶりになった。フランスも憑かれたように魔女狩りを行った国だった。その国の百科事典が自国の事例には一切ふれず、アメリカの例をまず第一に取り上げているとは…」(p.218) フランスらしさが伝わってくる逸話ですが、本題から逸れています…。
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日本は「恥の文化」と定義づけたルース・ベネティクトのあまりにも有名な「菊と刀」が、確かな根拠に基づく科学的な「発見」ではなく、科学的装いをこらした念入りな創作である、と論じた1冊。固定観念を突き崩して、日本人と恥について再考するのにはいい本。 「菊と刀」は終戦直後から執筆開始さ...
日本は「恥の文化」と定義づけたルース・ベネティクトのあまりにも有名な「菊と刀」が、確かな根拠に基づく科学的な「発見」ではなく、科学的装いをこらした念入りな創作である、と論じた1冊。固定観念を突き崩して、日本人と恥について再考するのにはいい本。 「菊と刀」は終戦直後から執筆開始され、1年後にアメリカで出版されベストセラーになったとのことだが、ベネティクト自身は一度も日本にフィールドワークに訪れたことはなく、文献と在米日本人からのヒアリングでこの本を書いていると言うこと自体、「文化人類学者の本」としてはいささか信憑性に欠けるのだが、著者はその内容を追っていく中で、ベネティクトの論の進め方における一般論から特殊解への「すりかえ」や、日本=悪、アメリカ=善という論調への巧妙な誘導を指摘していく。 さらに、ベネティクトの戦前の論文と「菊と刀」での主張の推移を、当時行われていた共産主義者に対する「魔女狩り」からベネティクトが逃れるために、愛国主義的な「菊と刀」を執筆したと推測し、さらには彼女の大学での地位固めのため、そしてアメリカの原爆投下に対する自己正当化(日本=悪=天誅が下って当然)のため、と著者は推論していく。 確かにこの本を読むと、著者の論には頷ける点が多い。よく文化人類学者が揶揄されるのも分かる気がする。巻末に参考文献が載っているので、裏を取っていく作業は可能。(けれどかなり骨が折れそう) ちなみに本筋とは外れるが本書で印象に残った箇所は、 ・原爆の倫理性について議論するとき、(最初の広島ではなく、2回目の)長崎こそがその中心になってしかるべきだと考えるのである。 ・1897年、日清戦争に日本が勝利した2年の後、(中略)アメリカは日米衝突に備えた「オレンジ計画」という対日戦略プログラムを策定していた、という驚異的文書が近年解明、紹介されたのである。 ・日本ではお月様の中に(お釈迦様に我が身を焼いて食べさせようとした)兎がいて餅をついて楽しく暮らしていると伝えられ、ヨーロッパでは罪を犯した男が月に送られたと言われている。 という件でした。
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