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世界の歴史 第2版(5) の商品レビュー

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2016/02/07
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三国志、隋唐の流れ。 世界史に影響を残すほどの美貌を備えた楊貴妃のエピソード 南北朝の動乱を制し、天下を統一した隋。だが時代はさらなる激動を呼んだ! 隋朝の栄華に酔い後宮で美女たちとの享楽に明け暮れる煬帝。だが天下には戦乱の兆しが。 濁乱の世、朝政すでに無し。唐公・李淵、ついに起つ! 群雄割拠する隋末に躍出した若き英雄・李世民の活躍 大唐の国威いよいよ盛え、美女と陰謀が宮廷をいろどる哀世絵巻。 唐の統一過程から玄武門の変を経て太宗李世民が即位し、高宗の時代になって武照が力を持ち始め、周の女帝となるが、やがて老いて、李隆基の活躍で唐に戻り、その玄宗皇帝が楊貴妃に溺れて行く 玄宗と楊貴妃の寵を恣にしていた安禄山は、廷臣たちによって辺境の節度使に追いやられる。両者の確執は止まず、遂に安禄山は叛旗を翻した。唐朝存亡の危機!玄宗は長安を逃れ蜀に向かう。だが、随行の将兵は楊貴妃の死を求めて…。 一時が万事、楊貴妃の出現により、それまで開元の治と呼ばれる善政をしいていた玄宗は、政治への情熱を失ってしまう。絶世の美女をさして、「傾城(けいせい)」とか「傾国」というのはこのことによる。 楊氏一族が軒並み高官にのぼると、その専横がしだいに反感を招くようになる。楊玉環が貴妃の座にのぼってからちょうど10年後、節度使の安禄山がついに兵をあげた。反乱の標的は、宰相楊国忠(楊貴妃のまたいとこ)であった。楊国忠は反乱軍の兵士に殺され、さらに国忠の長子、楊貴妃の姉たちも次々と殺された。 残る楊氏一族は、楊貴妃のみである。玄宗は、唐室存続のため、苦しい決断を下す。楊貴妃に死をたまう旨を伝えたのである。貴妃は、絹で首を絞められて殺された。享年38歳であった。 中国の唐王朝の領土が西にかけて非常に横長く伸びていることに気づいて不思議に思ったことはないでしょうか。 7世紀前半に確立した唐王朝は、ソグディアナを含む西域世界を版図に取り入れて幹線を帝国の各地まで完備することで、 これまでせめぎ合いを続けてきた農耕民族と遊牧民族が融合した一大帝国を構築しようとしました。 ソグド商人はこれまで培ってきたネットワークを駆使して、これらシルクロードの物産の大部分を担うようになっていきます。一方でソグドの漢化が進み、漢人の商人も多くソグド・ネットワークに参画するようになっていきます。

Posted byブクログ