ゲームホニャララ の商品レビュー
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私は、ここに出てくるゲーム、有名どころ意外は遊んだことのないものばかりでしたが、それでもおもしろかったです。 ファミコンがでた頃、私は小学生。 もう欲しくて欲しくてたまらなかったけど、親に買ってもらえませんでした。 なので仕方なく、持ってる友だちと遊んだときにやらせてもらったり...
私は、ここに出てくるゲーム、有名どころ意外は遊んだことのないものばかりでしたが、それでもおもしろかったです。 ファミコンがでた頃、私は小学生。 もう欲しくて欲しくてたまらなかったけど、親に買ってもらえませんでした。 なので仕方なく、持ってる友だちと遊んだときにやらせてもらったり(でも「ファミコンやらせて 」が言えなくて、友だちから「やる?」って言ってもらえるように、うまく話を誘導したりして)。 だいぶ大きくなってから、自分のファミコンを持てたときには、感慨深いものがあったっけ。 なんてことを思い出してしまいました。 しかしあの時、姉が全くファミコン欲しがってなかったのは不思議でしょうがない。 当時の小学生でファミコン欲しがらなかったら、一体何を欲しがるっていうんだい! 紹介されてるソフトの中にも、やってみたいなあと思うものたくさん。 こんなにたくさんのゲームに出会えてた、姉と同い年のブルボンさんが、うらやましいです。
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なんなんだ、この本は。ゲームという文化をこれほど身体的にとらえた人をぼくは知らない。スゴい、読み進めるたびに脳がニヤニヤしちゃう。 --- 読み終えた。マッピーを泥棒ネズミの話だと思っていた女性。設定を取り違えても同様に楽しめる。ゲームにおいてストーリーとはなにか。
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面白い。マンガホニャララと一見対なのも良い。 誰も言わない浦沢直樹批判なんて「そう!それが言いたかったんだよ!」ってなる(真っ当なマンガ読みならこの手のくだんねー流れには飽き飽きしてたんだ!)。いいです。
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ゲームはあまりやらないのだけれど。 長嶋有として小説を書く傍ら、ブルボン小林の名義でエッセイストとしても活躍中の筆者。 ブルボンとしての著書のほうが好みです。 紹介されいているゲームに不思議な郷愁が漂い、今すぐニンテンドーDSを買いに行きたくなる。
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割とゲーム論。 軽い内容を想定していたのでちょっとイメージと違う。 ピクトイメージはやってみたいな〜。
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- ネタバレ
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まだ読んでる最中だけど、途中メモ。 VOL.18 ゲームのルールは遊び手もつくる にある、クイズゲームをメモるのはかっこ悪い、というのがイマイチぴんとこない。 クイズゲームに限った話じゃないけど、ゲームの後略には、同じところで引っかからない、ってのはポイントだと思うけども。 VOL.29 立体視願望(真夜中の水餃子のように) このコラムが書かれたのは2006年なのだが、 立体ゲームの波は10年おきに来るようだとのべ、 半ば、嘲笑の意味も込めて、 「これに懲りずに(?)2015年頃の誰かも果敢にやってほしいな。飛び出すゲーム。」 って書いてあって、予想よりもはやくそういう時代がきているなと思ったりした。
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巨大な風車の回っている、静謐で奇麗な、小川のせせらぎや小鳥のさえずりの聞こえるところまで遊んで、それで、満足してしまった。 本当は、風車の羽に捕まってよじ上るべきらしいのだ。そうすると「次の場面」にいけるらしい。でも、なんで次の場面にいく必要があるんだろうと思った。 ...
巨大な風車の回っている、静謐で奇麗な、小川のせせらぎや小鳥のさえずりの聞こえるところまで遊んで、それで、満足してしまった。 本当は、風車の羽に捕まってよじ上るべきらしいのだ。そうすると「次の場面」にいけるらしい。でも、なんで次の場面にいく必要があるんだろうと思った。 これを読んだ瞬間、あー、そうだ、これだ、と思った。とても気に入っているんだけどゲームを進めたいという気はない、そういうことは確かにある。その感覚がはっきりと書かれている。 そうしたゲームにまつわる微妙な感覚がこの本にはあふれている。語られるのは、ゲームの話ではなく、ゲームに”まつわる”話。ゲームという横串で貫かれてはいるけれど、中心にゲームは無くて、ゲームのある世界があるだけ。それこそ、冒頭の引用のように、ゲームを進める必要なんて無い。それこそ、ゲームがあって、作る人がいて、やる人がいて、熱中する時間があって…という世界があることでもう十分にさえ思えてくる。
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