南方録 の商品レビュー
図書館で借りた。 博多の立花家に代々伝わった古文書で、千利休の秘伝書として茶道に関する悟りの書が、この『南方録』とのこと。 歴史学的には偽物と分かっているモノらしい。何やら”その時代には居ないはずの人の記録があったり”するとかが証拠だとか。 それでもこうやって岩波文庫として受け継...
図書館で借りた。 博多の立花家に代々伝わった古文書で、千利休の秘伝書として茶道に関する悟りの書が、この『南方録』とのこと。 歴史学的には偽物と分かっているモノらしい。何やら”その時代には居ないはずの人の記録があったり”するとかが証拠だとか。 それでもこうやって岩波文庫として受け継がれているのは、茶道の読み物として広まり過ぎてしまったからという側面がある。 図も結構入っていて、ただお茶についてだけでなく、部屋や生花とかさまざまな記載があり、茶道を知っていく上では面白そうだと感じる。 私は茶道は全く分からないが、このような文書があるということを、福岡に居る人間としても学びました。教養の1つとしてお薦め。
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掛物を茶道具の第一とする。「掛物ほど第一の道具はなし、客・亭主共に茶の湯三昧の一心得道の物也、墨跡を第一とす、其文句の心をうやまひ、筆者・道人・祖師の徳を賞翫する也」。 以下が現代語訳になる。「道具の中では掛け物が第一であります。客も亭主も、ともどもに茶の湯の道を究めることによ...
掛物を茶道具の第一とする。「掛物ほど第一の道具はなし、客・亭主共に茶の湯三昧の一心得道の物也、墨跡を第一とす、其文句の心をうやまひ、筆者・道人・祖師の徳を賞翫する也」。 以下が現代語訳になる。「道具の中では掛け物が第一であります。客も亭主も、ともどもに茶の湯の道を究めることによって、精神の高みに到達しなければなりません。掛け物はその指標となるものです。それには墨蹟がもっとも適切であります。まず、その語句の心を知ること、次にその筆者である求道者、または禅僧の徳を敬うのです」(戸田勝久訳『南方録』教育社、1981年、108頁) これは以下のように解説される。「其ノ掲グル所ハ修養ニ資クル語類ニシテ、静坐瞑想ニ耽ルベキ草庵ニハ至要ノ者ナレバ、一心得道ノ者ト云ヘルナリ。」(柴山不言『喫茶南方録註解 上巻』茶と美舎、1972年、163頁) 「客も亭主も、その墨蹟の文句によって心を統一し、席の情調を保ち、茶の湯の精神を浄化するものであるからで、これが本当の点茶の醍醐味である。」(中村直勝『茶道聖典 南坊録』浪速社、1968年、115頁) 禅宗では仏像や仏画の代わりに自ら師とする人の書蹟を拝することから墨蹟が尊重され、茶の湯の世界でも墨蹟を第一としている。村田珠光が大徳寺の一休宗純に参禅し、印可の証明として授けられた墨蹟を、茶席に掛けたのが由来とされる。禅僧との関係性を抜きにして墨蹟を論じることはできない。
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覚書◆会◆棚◆書院◆台子◆墨引◆滅後◆岐路弁疑 原編:立花実山(1655-1708、福岡藩) 校注:西山松之助(1912-2012、赤穂市)
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解説によると偽書らしい。 茶道がことこまかなのは、この本をお手本にしているからなのか。図解付きでひたすらに細かい細かい。 「家居の結構、食事の珍味を楽しみとするは俗世の事なり。家はもらぬほど、食事は飢えぬほどにてたることなり。これ仏の教え、茶の湯の本意なり。」 「ある人、炉...
解説によると偽書らしい。 茶道がことこまかなのは、この本をお手本にしているからなのか。図解付きでひたすらに細かい細かい。 「家居の結構、食事の珍味を楽しみとするは俗世の事なり。家はもらぬほど、食事は飢えぬほどにてたることなり。これ仏の教え、茶の湯の本意なり。」 「ある人、炉と風炉、夏冬茶湯の心持、極意を承たきと宗易に問われしに、易こたへに、夏はいかにも涼しきやうに、冬はいかにもあたたかなるやうに、炭は湯のわくやうに、茶は服のよきやうに、これにて秘事はすみ候由申されしに、問人不興して、それは誰も合点の前にて候といはれければ、また易のいわく、さあらば右の心にかなふやうにして御覧ぜよ。宗易客にまいり御弟子になるべしと申されける。」 この後に、白居易との問答の中で「仏教の根本ははもろもろの悪を為さず、善をおこなう」と言っているのと同じことだ、と同席していた和尚が言った、と続く。 「さてまた侘の本意は、清浄無垢の仏世界を表して、この露地草庵に至りては、塵芥を払却し、主客ともに直心の交なれば、規矩寸尺、式法等あながちに云ふべからず。火をおこし、湯を沸かし、茶を喫するまでのことなり。他事あるべからず。これすなわち仏心の露出するところなり。」 「十年を過ぎず、茶の本道捨たるべし。すたる時、世間には却って茶の湯繁昌と思べきなり。ことごとく俗世の遊事に成りてあさましき成はて、今見るがごとし。」 「またその客に応じて、湯あひ、火あひ相当して、茶をたつるを巧者の亭主と云なり。」 この後、茶壷を開けてからお茶はどんどん香りが消えていくから、それに応じたお湯の沸かし方で入れる、というような事が書いてある。 碾茶は初夏に摘んで茶壺に詰め、秋まで熟成させて、それを粉にひいて飲むのだそうな。 現代はパック詰めになっているけれど、確かにあけたてのお茶は美味しいが、古くなるとおいしくない。
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