ネットワーク・ミュージッキング の商品レビュー
2009年刊。 かつてレコードやCDといった固形物を「所有」することで音楽が消費された時代を経て、ネット上のサーバーを家のパソコンやデバイスで「参照」することで音楽を享受する時代になった、という指摘である。 とはいえ、2009年というのは思ったよりも古い時代らしく、当時はま...
2009年刊。 かつてレコードやCDといった固形物を「所有」することで音楽が消費された時代を経て、ネット上のサーバーを家のパソコンやデバイスで「参照」することで音楽を享受する時代になった、という指摘である。 とはいえ、2009年というのは思ったよりも古い時代らしく、当時はまだスマホは無かったし、国内で流行っていたSNSはmixiという時代だったし、SpotifyやApple Musicのようなストリーミング形式のサービスも登場していなかった。ただ、Naxos Music Libraryは既にこの種のサブスク型サービスを先駆けて始めていたようだ。 確かに、音楽がそれを記録した物体として「所有」されるのでなく、それを還元した「情報」としてやり取りされるのが時代の推移として展開されてきた、というのは事実のようだ。この「情報としての音楽」というのは、考えてみれば深い問題だ。そう言われてみれば「楽譜」なるものも、音楽をある種の文法に基づいた「情報」の記録であり、そもそも物質界の「実体」と「情報」(パターン)とは密接な関係があって、このパターンの仕掛けがすなわちDNAの塩基配列であると言えるし、そもそも分子が「パターン」によって組み立てられていることも確かだろう。 ふつうの人間が音楽を音楽として享受するには、最終的に空気など媒体の「振動」に還元する必要がある。その最終的な態様を組み立てうるパターンが決定されるなら、その記述様式は単純な情報工学上の単位として取り扱うことができるのだ。 こう考えていくと結構おもしろい。本書を読んでいる内に、人間が一定の文化内で「音楽」と定義している事象は、その本質がこれまでとちがった角度から見直されうると気づいた。 本書に記述された「ネットワーク・ミュージッキング」はさらにその後どんどん進化してきており、この先もどうなっていくのか想像するのは難しい。結局は空気などの経時的振動という形でしか享受し得ない「音楽」は、いつか、振動への変換すらすっ飛ばして、脳内に「音楽的な刺激」を直接与えるようなハイパーなテクノロジーまで登場するのだろうか。
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【由来】 ・確かamazon? 【期待したもの】 ・ ※「それは何か」を意識する、つまり、とりあえずの速読用か、テーマに関連していて、何を掴みたいのか、などを明確にする習慣を身につける訓練。 【要約】 ・ 【ノート】 ・ 【目次】
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音楽において、所有から参照の時代に変わっているという視点はおもしろいが、疑問点はかなり残る。 デバイス、使う人による場合分けは必要だろうし、現在の音楽業界を考える際にレンタルのことを無視することはできないだろう。
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