前略、離婚を決めました の商品レビュー
p.231 「本当はこう在りたい」と思う自分を確実に受け止めてくれる、強度のある別の世界や生身の世界の人間、つまり新しいつながりを見つけ出せない限り、知識はただのキレイゴトに過ぎず、「とはいえ現実はしょせんこんなものでしょ……」という絶望的な諦めとともに、人は閉じたままで今いる場...
p.231 「本当はこう在りたい」と思う自分を確実に受け止めてくれる、強度のある別の世界や生身の世界の人間、つまり新しいつながりを見つけ出せない限り、知識はただのキレイゴトに過ぎず、「とはいえ現実はしょせんこんなものでしょ……」という絶望的な諦めとともに、人は閉じたままで今いる場所にとどまってしまうのです。 p.222 「たとえ親密な関係であろうとも、他者は自分の思いどおりに動かないのが当たり前。だからこそ、自分が望んだとおりに動いてくれたときには、どんな些細なことだも感謝の念が生まれる」。そういう前提がなければ、愛情という名のもとに、相手の言動を際限なく支配し、束縛する暴力が生まれてしまう 2021/11/17 読了
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静かに、丁寧に、子どもに対して「愛情」や「家族」について語った手紙。 「ひととつながっている」という感覚がほしいがために、人間はこんなところまでいくのか。ここまでいくと、著者のいろんな境遇がこうさせたんやろうな、と思う。そんな簡単に、どうこういえるような問題ではない。 でも最終的...
静かに、丁寧に、子どもに対して「愛情」や「家族」について語った手紙。 「ひととつながっている」という感覚がほしいがために、人間はこんなところまでいくのか。ここまでいくと、著者のいろんな境遇がこうさせたんやろうな、と思う。そんな簡単に、どうこういえるような問題ではない。 でも最終的には、ハッピーな物語で終わってよかった。これからも、すてきな人生を送ってほしい。
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友人からオススメされてお借りした本。 離婚した理由や自分の考えを、お子さんへ向けて書いた手紙という形式で、一冊の本にまとめられた作品。 人と繋がりたいという渇望や、上手く行かなかった結婚生活への決別の理由などを、本当に真摯に丁寧に伝えている。後半はDVについて、ジェンダーについて...
友人からオススメされてお借りした本。 離婚した理由や自分の考えを、お子さんへ向けて書いた手紙という形式で、一冊の本にまとめられた作品。 人と繋がりたいという渇望や、上手く行かなかった結婚生活への決別の理由などを、本当に真摯に丁寧に伝えている。後半はDVについて、ジェンダーについても触れられている。 私も人と繋がれない、繋がりたいとずっと思ってきた人間なので、そこらあたりの記載は胸が締めつけられるような感覚を覚えた。 結婚制度や戸籍制度など、これまでほとんど真剣に考えたことはなかったが、ちょっと少しずつでも勉強してみたくなりました。
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人と繋がれない、その感覚は多かれ少なかれ誰もがもつ感覚だと思います。 しかし筆者は誰よりも強烈に感じ、 翻弄されてきたようにみえます。 アスペルガーの診断や DVの被害の中で 子どもを守り育ててきた筆者。 「私、いい場所にきたなぁ」 と思えるところへ行きつけたことに 読んで...
人と繋がれない、その感覚は多かれ少なかれ誰もがもつ感覚だと思います。 しかし筆者は誰よりも強烈に感じ、 翻弄されてきたようにみえます。 アスペルガーの診断や DVの被害の中で 子どもを守り育ててきた筆者。 「私、いい場所にきたなぁ」 と思えるところへ行きつけたことに 読んでいるわたしもしみじみと嬉しくなったのです。
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この本は、我が子にどうして離婚になったかを聞かれたのが切っ掛けで生まれたものらしい。 そのためか子供に語りかける形式で、主語がお母さんお父さんで語られており、読者である私に色々な意味で戸惑いが起こる。 覗き見させてもらっているような後ろめたさもあり、誰に対する父母なのか分から...
この本は、我が子にどうして離婚になったかを聞かれたのが切っ掛けで生まれたものらしい。 そのためか子供に語りかける形式で、主語がお母さんお父さんで語られており、読者である私に色々な意味で戸惑いが起こる。 覗き見させてもらっているような後ろめたさもあり、誰に対する父母なのか分からなくなり、お婆さんやお爺さんの事なのかと勘違いしたりすることも起こる。 子供を盾にしている所に弱さを感じしまう。 それは残念ながら軽々しいタイトルにも現れているようにも思う。 このタイトルから受ける印象は、誤解されるほどに内容とかけ離れているように思える。 特に後半での作者自身の深い観察眼による活き方と説明していないように思える。 前半では人と関われない自分に劣等感を持ちつつ関係を楽しめる自分を夢見てあこがれながら、幼さと過去を守ろうとする消極性から闇に長けた社会に飲み込まれて行く様と、その一歩一歩を反芻することで自分の罪悪感から解放され、離婚を決意させるまでの長い話を語っている。 最後に差し掛かった「補足メモ」を境に一般向けの記事になり、五章の「エッチと暴力」 からは、その一言一言を発する視点がガラリと変わる。 ここでは「エッチ」をお互いによる精神的な感覚を現す言葉として、「セックス」を利己的で肉体的な欲望の表現として使いわけている。 全身まるごとの集中で一目一目編み出す言葉は、直球でありながら柔らかく包まれて心地いい。 怖いもの見たさの社会性の中で、エッチは隠された「怖い事」と在るがままでいられる「解放感」の掛け合いによる暴力と調和の紙一重の冒険なのだろう。 しかし個と個の集いによるエッチには、宛がい扶持の秘密などなく未知を紐解く冒険があるだけで、子作りの交わりとは別のお互いにほぐれて心満ちて行く無限観を体験して恍惚を実感していくことを可能にする事実を語っている。
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届いてから、より道パンセ本だったことに気づく。買うことなかったなーと思ったものの、やはりよく練られた文章で読みがいがあった(中学生向けなので半日で完読できる)。「自分の弱さの世界に孤独を閉じ込めるのではなく、弱いままで他者に開かれていく世界にたどりついた気がする」(p.260)。...
届いてから、より道パンセ本だったことに気づく。買うことなかったなーと思ったものの、やはりよく練られた文章で読みがいがあった(中学生向けなので半日で完読できる)。「自分の弱さの世界に孤独を閉じ込めるのではなく、弱いままで他者に開かれていく世界にたどりついた気がする」(p.260)。そんな日がわたしにも来るといい。 DVのくだりが、なんか臭うと思ったら、案の定、信田さよ子が絡んでいた。このギョーカイでは、もはやお約束なのか。
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どうして、離婚を決めたのか。筆者の子ども達に語られる形式で書かれている。私が子どもだったなら、ここまでさらされてしまってはつらい気もするが、母親が全力でむかってきてくれていることには共感するだろうと思った。次は「くまちゃん」との共著が読んでみたい。
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この本は、さいしょ近所の本屋にあったのをちょろっと立ち読みしたのだった。買おっかなーと一瞬思ったが、ぱらぱら読んでいると思いのほかヘビィな内容のようで、(読んだあとにこの本がウチにあるのってどう?)と考えると、借りて読むか~と思い、本屋の棚に戻して、そのあと図書館で借りてきた。借...
この本は、さいしょ近所の本屋にあったのをちょろっと立ち読みしたのだった。買おっかなーと一瞬思ったが、ぱらぱら読んでいると思いのほかヘビィな内容のようで、(読んだあとにこの本がウチにあるのってどう?)と考えると、借りて読むか~と思い、本屋の棚に戻して、そのあと図書館で借りてきた。借りてきてからも、延長して、積んでいた。 ふたりの子どもたちにあてて「お母さんは、お父さんと離婚をすると決めました」と書きはじめた、一冊まるまる長い長い手紙のような本。 そのためか、この本では著者はずっと「お母さんは」と、一人称としてずっと「お母さん」を使い、離婚することになった夫のことは、子どもから見てという位置で「お父さん」と書かれる。子どもたちがどれくらい幼いのかは読んでいてはっきりわからないが、各章は「子どもたちからの質問」(と想定される質問)の形をとり、それへの答えとして「お母さん」の言動、思い、考えなどが縷々綴られる。 離婚を決めた、となると結婚していたわけで、「お母さん、なんでお父さんと結婚したの?」という問いに答えるところから1章は始まる。そして、「お母さん、ぼくたちを産んでよかった?」「お母さん、なんでお父さんと離婚したの?」「お母さん、どうやって離婚したの?」と問答形式が続き、結婚し、子どもをもち、離婚にいたった経緯を説明していく。 そのあとで、「エッチと暴力」「弱いままで開かれていく世界へ」という、お母さんの「これまでなぜそうなったか」「これからどうしていこうと思っているか」を語る章が書かれている。人とのつながりを求める気持ちが暴力にまきこまれることになってしまった、その理由として「エッチ」を考えなければという章と、自分の弱さを認めてつながっていく関係をつくっていこうとしているところなのですという章と。 この「お母さん」、綾屋紗月という人は、小さい頃から「つながっている」感覚をもちにくかった。ひとりぼっちだと感じ、どうやって人とつながっていいかがわからなかったらしい。 読んでいて、ちょっとキツい…と思うくらい、ぎっちりみっちり、言語で説明してある。自分のつながれない感じ、「お父さん」と出会った頃の気持ち、どんな風に考えて、結婚したいと思い、子どもがほしいと思ったのか。そして、「お父さん」とすれ違い、もう歩み寄ってやりなおしていく余地がないと思うくらいに関係がこわれてしまったいきさつ。DVの渦中にあった頃の話は、かなり厳しい。よくこれだけ言語化できたものだと思う。 奥付によると、この人は、大学時代に、音声言語で話すことに高いハードルを感じていて、自分の言葉として手話を身につけたのだという。そこのところにも興味がある。 新たなパートナー・くまちゃんとの共著『発達障害当事者研究―ゆっくりていねいにつながりたい』という本もあるそうで(医学書院のケアをひらくの一冊←べてるの『「非」援助論』や小澤勲の『ケアってなんだろう』なんかも入ってるシリーズ)、こんど読んでみたいと思う。
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