「弱肉強食」論 の商品レビュー
著者の小原秀雄はWWFの仕事などもしている哺乳類を専門とする動物学者で多数の著作がある。この本は2009年の発行で、秋葉原殺人やリーマン以後の「グローバル化」、「格差社会」などについて、ヒトをふくめた動物学の観点から論じている。まず、著者の動物観察の経験から、リアルに動物界の「弱...
著者の小原秀雄はWWFの仕事などもしている哺乳類を専門とする動物学者で多数の著作がある。この本は2009年の発行で、秋葉原殺人やリーマン以後の「グローバル化」、「格差社会」などについて、ヒトをふくめた動物学の観点から論じている。まず、著者の動物観察の経験から、リアルに動物界の「弱肉強食」が論じられている。基本的には動物界は「ゆるやかな共生」の関係であり、弱い種が一方的に食われるだけではないことが力説されている。アリやオキアミなどは繁殖力で絶滅をまぬがれるように適応しており、繁殖力という点からみれば強者で、その強者は捕食技術を発展させた強者と共生している。ライオンもヤマアラシを襲ってトゲに殺されたり、弱ればハイエナに食われたりする。植物食の鳥も無抵抗なノウサギの子供などをつつき殺して食ってしまうこともある。「同種で殺し合うのは人間だけ」というのは誤りで、生存空間が混雑してきたり、相手は無抵抗だったりすれば、同種でも自分の子孫でも殺して食う(カニバリズム)。しかし、この共食いは動物のくらす自然界では特殊な反応である。人間は道具をつかい環境を改変して社会や文化をつくりだし、これを「自然」として生きている。人間には社会があるのが「自然」なのである。人間が「自己家畜化」をしてきたというのは人類学の古くからの理論だそうだ。巻き毛や体毛の変化、アゴの退化などは家畜に起こっており、人間も同様だ。一方、人間はヒトとしての攻撃衝動を確実に持っている。これは生物種のもつ力であるから、教育で消すことはできない。だが、文化という人間の自然の力で昇華することは可能である。「社会ダーウィニズム」の変種である「グローバリズム」や「格差社会肯定論」は人間のヒトとして、つまり動物としての側面だけを強調する「科学的迷信」であり、少なくとも政治的リーダーが「格差」を肯定するのは異常な状態である。人間界の「弱肉強食論」に対し、「優しさ」を主張するのは、生存競争の現実を直視しない発想で、「弱肉強食」が主張されればされるほど「癒し」や「救い」の言説も繁盛する。社会というのは人間のつくった自然であり、これは本来、同種間での共生のためのしくみであるから、社会は「弱肉強食」を肯定してはならなず、ヒトとしての攻撃衝動を直視し、これを昇華する手段をしくみとして作ることが必要なのである。「弱肉強食」は唐の韓愈の言葉である。
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「弱の肉は強の食となる」(韓愈) 食性を備える動物には普遍的な法則。動物界から進化したヒトだから行動形成は連続する。動物の本能的な衝動の発現・抑制・転位は、人間界では戦争・犯罪・自死・狂気へと多様多彩化するという。(小泉内閣、ホリエモン、いじめ問題、後藤田正晴「強者生存」発言、秋葉原無差別殺傷事件)人間社会での禽獣のような行動の是非を動物の生態、適応放散、捕食行動、同種間競争などを例に取り論じる。
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