サイバービア の商品レビュー
サイバービア(電脳郊外)とは著者による造語で、広大なインターネット空間における人々の生活史が解説されている一冊。 電子技術と通信技術の発達が人間に齎してきた影響、そして今はどうなのかが描かれています。 前半に全体的な主旨が記述され、後半は個人レベルの実例が占めています。 インター...
サイバービア(電脳郊外)とは著者による造語で、広大なインターネット空間における人々の生活史が解説されている一冊。 電子技術と通信技術の発達が人間に齎してきた影響、そして今はどうなのかが描かれています。 前半に全体的な主旨が記述され、後半は個人レベルの実例が占めています。 インターネットの普及で素人は当然ながら暗中模索するわけですが、それを拗らせて精神的にサイバービアへ移住をする人間がいるという現象は危険に思えます。 肉体や精神の実態が電子化されていない今はまだ、実際の生活とサイバーの生活の両立が求められます。 それが健全なサイバネティックスであり、高度な科学技術との共存に必要な姿勢です。 では存在全てを電子化する未来がきたならば…、その時はもうお好きにどうぞとしか言えません。 サイバービアを含むインターネットについてよく考え、上手に有益に使いたいものです。
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少し視点が複雑で難解。 本筋とは違うが、ノバートウイナー、マーシャルマクルーハンといった情報の歴史で少し聞きかじったことのある人たちのことを詳しく知ることができたのは大きなメリットだった。
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結構、ゼロ年代批評と似たようなところが多かった。途中のコンテンツ批評的な箇所で、書いてあったサイバーリアリズムは、ゲーム的リアリズムと比べてながら読んでみても面白いかなあーって。
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サイバービア(電脳郊外)とは筆者ジェイムス・ハーキンの造語で、コンピュータユーザーたちが情報をやりとりする仮想の場所、のことらしい。その概念は相当広く、FacebookやTwitterはもちろん、Googleなどの検索エンジンまで含んでいる。キーワードはサイバネティクスとフィード...
サイバービア(電脳郊外)とは筆者ジェイムス・ハーキンの造語で、コンピュータユーザーたちが情報をやりとりする仮想の場所、のことらしい。その概念は相当広く、FacebookやTwitterはもちろん、Googleなどの検索エンジンまで含んでいる。キーワードはサイバネティクスとフィードバック。 現代のネットワークが持つ大きな力を語る一方、ハーキンは「そうは言ってもサイバービアに期待しすぎるな」と警句を述べる。電子情報のやりとりに忙殺されては、「床に置かれたぜんまい仕掛けのおもちゃのように、堂々巡りをしてしまう」という。とても耳の痛い話。ネットに依存している人ほど、この本から得られるものは大きいと思う。
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最後の方ではサイバネティックスをぼろくそ叩いてたけど、真に理想的な実現はまだまだ先ということかな。Twitterって一人一人が反射神経的に呟いてて、地球規模の神経系=地球脳にかなり近い気がする。
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電子的情報ループ。ループのループへ。 サイバネティクス。語源、ギリシア語で舵取り。 結局はひととつながりたいのか。ピア=仲間。ノード=結節点。
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請求記号:007.3/ ハ 資料番号:011111150 「ゼロ年代の情報環境を知る3冊 」③ ネット社会の歴史的文化的背景が詳述されています。 大きな物語はなくなり、無数の状況が同時進行し、弱い結び付きながら、無視できない関係性から成る「郊外」に人々は移住していると著者はいいま...
請求記号:007.3/ ハ 資料番号:011111150 「ゼロ年代の情報環境を知る3冊 」③ ネット社会の歴史的文化的背景が詳述されています。 大きな物語はなくなり、無数の状況が同時進行し、弱い結び付きながら、無視できない関係性から成る「郊外」に人々は移住していると著者はいいます。 これから人間の生き方がどう変わっていくのかを考えさせられる、そんな一冊ではないかと思います。
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[関連リンク] notitle: http://twitter.com/solar1964/statuses/7591993579
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日本インターネット新聞社JanJanで掲載された、私の書評が載っています。内容は以下と同じです。 http://www.book.janjan.jp/0909/0909029652/1.php インターネットや携帯電話を使わない社会生活は今やほとんど考えられないほど、それらは人...
日本インターネット新聞社JanJanで掲載された、私の書評が載っています。内容は以下と同じです。 http://www.book.janjan.jp/0909/0909029652/1.php インターネットや携帯電話を使わない社会生活は今やほとんど考えられないほど、それらは人々の間に浸透している。今や業務連絡も、買い物も、ちょっとした暇つぶしのおしゃべりすらも、全てインターネットの中で済ますことができる。そしていつのまにか、子育てや医療相談、結婚の相手探し、政治活動といった、生活に大きくかかわるような話もネット上で行われるようになった。 実生活では絶対に出会えないような人間が、たまたま目にした興味のある質問に、家族や親戚以上に親身になって助言してくれる。一方で、何の根拠もない噂が広まると、一般生活では大人しい人物が、他人のブログに暴力的な書き込みを執拗に繰り返す事もある。 ネットは、もはや実生活とは全く違う別の顔を持った人間たちが、セカンドライフを送る場になった。その場所は「サイバービア」と呼ばれている。「サイバービア(電脳郊外)」は「サイバネティックス(電脳工学)」と「サバービア(郊外)」を組み合わせた造語である。 サイバービアに移住した人々は、自由気ままに興味のある出来事だけに、無数に関わりを持ち続けることができる。その一方でその関わりを維持するために、日長一日メールを読み、ブログに書き込み、チャットし、その合間に仕事を片付けるような、本末転倒の暮らしを続けるようになる。電子情報のループに囚われた人間の多くは、目の前のタスクをこなすのに精一杯で、自分は一体何をやりたいのか、どうすればいいのか当惑し、その生活に時折空しさを感じている。 本書は身の回りのデジタル機器が、どのように私たちの精神や歴史に変化を与えてきたかということを、著者独特の視点と調査で纏めた歴史書である。現在のネット生活を支える情報技術は、3人のキーマンに受け継がれて発展した。 まず、1940年代の第二次世界大戦時にナチスのミサイル攻撃を防ぐ目的で、サイバネティックス理論を興したノーバート・ウィーナー。常に変化し続ける情報を、絶えずフィードバックすることで、敵ミサイルの進路を妨害するという、新しいアプローチの仕方を開発した。この理論は、人間とデジタルデバイスの関係を大きく変える発端となった。 戦後に、政府に対して反骨精神を燃やしたヒッピー達が支持した「ホール・アース・カタログ」の編集者であるスチュアート・ブランド。彼やヒッピー達のカウンターカルチャーを通じた交流は、「お上」からの情報を得るだけでなく、個人からの積極的な情報発信により、誰にもコントロールされない自律的なコミュニティーを作るという、ネット社会の基盤と精神を構築した。 その後80年から90年に最盛期を迎えた、元ヒッピーによるコンピュータとネット業界による新たな経済構造の構築と株の暴落による衰退。一見アナーキーに見えるネット社会について、メディアの内容が問題なのではなく、人々がどのようにメディアに接しているのかが重要だと、文学者のマーシャル・マクルーハンは主張した。 読み始めは冗長で退屈だったが、読み進むに従い、サイバネティックスの歴史と、ネット社会で人間に及ぼす様々な現象が非常にわかりやすく纏められていて、どんどん面白さが増していった。 著者のジェイムズ・ハーキンは、サイバービアという第二の生活にドップリと浸かっているからといって、人々の生活の質が脅かされていると警鐘を鳴らそうとしている訳ではない。むしろネット社会でのみ可能な、「完全に対等な立場で」他人と関わることができる社会の実現に向けての希望を語っている。その理想と現実の狭間に広がるサイバービアが、単なるネット上の仮想生活だけではなく、ものすごいスピードで現実生活と重なってきているのだ。 私達のネット生活を客観的に見つめなおすことができる、大変興味深い1冊だった。ネット生活に少々疲れを感じている人にオススメだ。
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SNS、blog、ミニブログ。 コミュニケーションの場は拡大の一途を辿る。 いつしか人はコミュニケーションの場をループし、情報ループの波に乗り遅れまいと必死にしがみつく。 情報ループとそれを取り巻く(同時に台風の目となり、主体である)人々に警鐘を鳴らすだとか、糾弾するだとかネガテ...
SNS、blog、ミニブログ。 コミュニケーションの場は拡大の一途を辿る。 いつしか人はコミュニケーションの場をループし、情報ループの波に乗り遅れまいと必死にしがみつく。 情報ループとそれを取り巻く(同時に台風の目となり、主体である)人々に警鐘を鳴らすだとか、糾弾するだとかネガティブな論を展開する訳ではなく、あくまでその情報ループがどう作用して行くのかなどといったフラットな視点での考察が続く。 ヒッピーカルチャーや軍事作戦など様々な例を出し、情報ループの史観も検証していく。 一つの見方としては、情報ループに飲み込まれコミュニケーション中毒に陥いることに対してネガティブな感情を抱いていた身からすれば、その状況を再考すると同時に俯瞰点を作ることに役立ったかもしれない。 ただ、独特な言い回しが多く読み進むのに手間取った。
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