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特攻とは何だったのか の商品レビュー

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2012/04/16

特攻隊に関する知識といえば、戦争末期に戦艦や空母を失って最後の捨て身の作戦というイメージしかありませんでした。そのイメージはこの本を読んだ後も変わらないのですが、特攻隊は最後の手段だということで、決死隊のみで編成されているのかと思いきや、特攻機のみではなく誘導機・間接掩護・直掩部...

特攻隊に関する知識といえば、戦争末期に戦艦や空母を失って最後の捨て身の作戦というイメージしかありませんでした。そのイメージはこの本を読んだ後も変わらないのですが、特攻隊は最後の手段だということで、決死隊のみで編成されているのかと思いきや、特攻機のみではなく誘導機・間接掩護・直掩部隊・戦果確認機から成る編隊を組んでいた(p76)というのは私にとっては驚きでした。 特攻隊のアメリカに与えた影響というものは、数量的な戦果のみならず、精神的なダメージが大きかったと思います、そのダメージが戦後の日本にとってプラスに働いてきたことでしょう。現在の日本の繁栄があるのは彼らのお陰であることを忘れずにいたいと思いました。 一つ驚いた事実は、イタリアが降伏した後に連合国軍側にたってドイツに宣戦布告していた事実(p256)でした。 以下は気になったポイントです。 ・アメリカ軍は兵隊を大切にするシステムがあった、日本やソ連、ドイツ、中国、北朝鮮、ベトナム等の全体主義的国家の兵士は個人の人権を徹底的に無視をしていた(p19) ・特攻隊の死者は、士官よりも海軍飛行予備学生出身の予備士官の戦死率(全体の83%)、陸軍の特攻隊においても予備役士官や少年飛行兵(422、410名、対183名)が多い(p20) ・マリアナ海戦後の特攻により、わずか5機で護衛空母1隻を轟沈、護衛空母3隻を撃破する成果を出した、戦死者も2000名以上、飛行機120期以上喪失という成果(p75) ・神風特攻隊の攻撃が開始されたために、東京空襲の計画が遅れた(p81) ・硫黄島の戦いも一種の特攻であった、この島の守備がそのまま本土の防衛に繋がった、指揮を執った栗林中将の戦いは「可能な限り、戦いや死に意味を持たせることに心を砕いた」ことにある(p109) ・陸海軍の航空戦力は昭和20年1月19日現在で、700機のみが稼動機であった、3月に実用機と中間練習機も戦力化され、実用機:1100、練習機:2500の合計3600機となった(p120) ・練習機は金属製ではなく布張りであったため、レーダーに感知される可能性が低かった(p167) ・特攻が唯一効果をあげたとすれば、アメリカ軍に恐怖を与え、日本軍だけではなく日本国民の徹底抗戦の意思を示したこと、それによって連合軍は本土上陸を躊躇い、戦争終結交渉の時を稼がせた(p198) ・日本軍の馬鹿さ加減は、敵発見の位置を暗号で送ること、これにより暗号解読のキーを渡していることになる(p212) ・物量でかなわない相手と戦うのであれば、情報戦・通信・補給・将校教育で、敵に勝る努力をするべきであった、これらは軍縮条約の対象外である(p215) ・多くの将兵が補給も援軍もない状況下で強要されて死に至った歴史(260万人の戦死者)は、太平洋戦争以外では、地球上で一例もない(p216) ・イタリアは1943年7月のムッソリーニ逮捕の後に、新たな政権であるバドリオ政権が9月に無条件降伏をして、10月には連合国軍としてドイツへ宣戦布告している(p256)

Posted byブクログ