語り得ぬもの:村上春樹の女性表象 の商品レビュー
うーん、非常に切り口なども理解は出来るのですが、何だかしっくり来ないのは、小説の読み方としてのスタイルが気になってしまうからもあるのだと思います。 しかし、読まずにはいられない気分にもなるタイトルと内容。ネット時代ではなく、書店で手に取ったのであれば、購入はしなかったかもしれま...
うーん、非常に切り口なども理解は出来るのですが、何だかしっくり来ないのは、小説の読み方としてのスタイルが気になってしまうからもあるのだと思います。 しかし、読まずにはいられない気分にもなるタイトルと内容。ネット時代ではなく、書店で手に取ったのであれば、購入はしなかったかもしれませんが、だからこそ・・・今、ネットではあえて買うような気がします。 同じ著者の本で『女のいない死の楽園―供犠の身体・三島由紀夫』も気になるが、全体的に流れているストーリーの骨組みは好きです!(*´ー`*)
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ノルウェイの森、スプートニクは、日本語・日本文化の意味がもつレズビアンの位置づけとそのイメージの再生産を知る重要な文学。 確かに1960年代末の同性愛者は病気とされ孤独の中で苦悩しており、情報がない中で女性同性愛者という自己の名前さえ知らずに苦しみ続けていた。 ぼくらはこうして...
ノルウェイの森、スプートニクは、日本語・日本文化の意味がもつレズビアンの位置づけとそのイメージの再生産を知る重要な文学。 確かに1960年代末の同性愛者は病気とされ孤独の中で苦悩しており、情報がない中で女性同性愛者という自己の名前さえ知らずに苦しみ続けていた。 ぼくらはこうしてそれぞれに今も生き続けているのだと思った。どれだけ深く致命的に失われていても、どれほど大事なものをこの手から掠奪されていても、僕らはこのように黙々と生を贈っていくことができるのだ。
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著者の渡辺さんから、できたら図書館にリクエストしてください、もし読んでよかったらブログなどに書いてください、というメールをいただいた。ようやく落手して読了。以前三島由紀夫論の講演を拝聴したとき、村上春樹についてもお話があり、そこで語られたことが膨らまされている。 60年代の...
著者の渡辺さんから、できたら図書館にリクエストしてください、もし読んでよかったらブログなどに書いてください、というメールをいただいた。ようやく落手して読了。以前三島由紀夫論の講演を拝聴したとき、村上春樹についてもお話があり、そこで語られたことが膨らまされている。 60年代の社会状況を踏まえての文学の読み、なんだが、日本のセクシュアリティやセクシュアルマイノリティ関係の社会的通念は70-80年代くらいに本当に大きく変わっているのだということも再認識される。 目次はこんなふうだ。以下引用: はじめに 一『ノルウェイの森』―「僕」の視線とレズビアニズムの棄却 1 女たちの語りを誘発する「僕」の主体 2 禊としての異性愛性交 二 『ノルウェイの森』の直子はなぜ死んだのか 1 すべては左手の小指から始まった 2 泣く女 3 玲子を支えた「左の小指」の喪失物語 4 皺だらけの乙女と宿命(ファム)の(ファ)女(タール)・レズビアン少女 5 魔性の力を持つ「あの子」 6 直子の死の導き手・玲子 7 不在の直子を着る玲子 8 ひとつではない女の性―男根なしの快楽は断罪されなくてはならないのか 9 「死に至るまでの生の高揚」 10 女に不感症はない 11 言語体験とオーガズム 12 「破瓜」の痛みという制度と初夜権 13 処女の「験(しるし)」―河野多恵子「朱験」 14 一九六〇年代と女 三 『スプートニクの恋人』における「ぼく」の物語と読者 1 「ぼく」の物語 2 ゼロ記号としての「ぼく」 3 「ぼく」と「すみれ」と「ミュウ」の三角形 日本文学の中の女性(レズビアン)表象―あとがきにかえて ? 日本文学の中の女性(レズビアン)表象 ? 犯し続ける赤ん坊・「首を絞めて」くれるのは誰か―金原ひとみ『アッシュベイビー』の桃源郷 ? 異性愛を超えた「家族」物語―落合恵子 『偶然の家族』 ? 『中国の植物学者の娘たち』――父殺し・父権制の切断 ? 『雲南の妻』―女性婚のユートピアは何故終わったのか ? 金蘭契・中国女工間の同性愛 ? 纏足・性の植民地化 ? 杭州の女性無理心中事件―武田泰淳「美しき湖のほとり」 ? 不可視の愛 登録 2009.07.29. 改訂 2009.11.02.
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