現代語訳 吾妻鏡(6) の商品レビュー
1193年~1200年の『吾妻鏡』の記述。 ・本巻の政治情勢 ・吾妻鏡 第十三 建久四年(1193)正月~12月 ・吾妻鏡 第十四 建久五年(1194)正月~12月 ・吾妻鏡 第十五 建久六年(1195)正月~12月 (欠)1196~1198年と1199年正月 ・吾妻鏡 第十六 ...
1193年~1200年の『吾妻鏡』の記述。 ・本巻の政治情勢 ・吾妻鏡 第十三 建久四年(1193)正月~12月 ・吾妻鏡 第十四 建久五年(1194)正月~12月 ・吾妻鏡 第十五 建久六年(1195)正月~12月 (欠)1196~1198年と1199年正月 ・吾妻鏡 第十六 正治元年(1199)2月~12月 但し、3月までは建久十年。4月に正治元年に改元。 正治二年(1200)正月~12月 本書のほぼ三分の一をを占める分量の注、有り。 付録は、時刻表/方位、平泉復元地図。 大倉御所概念図、鎌倉時代の鎌倉。 後白河院の一周忌が終わり、諸国で狩猟が解禁。 そんな中、建久四年の富士の巻狩で曾我兄弟の仇討ちが。 黒幕の言及は無いけど、源範頼が配流されたり、 追放や出家となった者がいたりと、何かを匂わせている。 建久6年の頼朝の2度目の上洛は、東大寺の再建供養。 欠けた記述の時期は、関白・九条兼実の失脚と大姫の死。 後鳥羽上皇の院政開始。1199年正月13日に頼朝の死が。 正治元年からは源頼家の時代となり、頼家VS重臣たちの 十三人の合議制が始まる。そして梶原景時の失脚へ。 御家人66名の訴状ってのが、実力者の名前がずらりで凄いけど、 北条家の方々がいないのですね~。それと第十四あたりから、 北条家の名前がだんだん多く登場してきています。 のちの泰時の13歳での元服、頼朝の御加冠とはいえ、詳細だし。 反面、頼家の過ち?があちこちに登場・・・どうなる?頼家! それにしても1196~1198年と1199年正月が欠けているのは残念。 新発見で出てきたら嬉しいけど、難しそう。
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淡々と、大事件が必要最小限書かれていて、尚且つ、贔屓側目線なので、身も蓋もなく驚かせられる。 人妻を寝とった美男子が、ぶっ殺されて悲哀をかうとか 小さいつまづきを、揚げ足取って関連の人々陥れて成敗されるとか、さらりとドロドロな鎌倉幕府。 記述が空いてるなー、と思ったら、頼朝さん亡...
淡々と、大事件が必要最小限書かれていて、尚且つ、贔屓側目線なので、身も蓋もなく驚かせられる。 人妻を寝とった美男子が、ぶっ殺されて悲哀をかうとか 小さいつまづきを、揚げ足取って関連の人々陥れて成敗されるとか、さらりとドロドロな鎌倉幕府。 記述が空いてるなー、と思ったら、頼朝さん亡くなってるし!後継者の息子はけちょんけちょんだし。 セキララでコワイです。
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