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私とマリオ・ジャコメッリ の商品レビュー

2.8

10件のお客様レビュー

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2021/11/30

これから何回も読むだろうし、また何回も読んで様々なことを考えると思います。マリオ・ジャコメッリの展示を見てかなり色々なことを考えて、さらにこの本を見付けたのが、この本との嬉しい出会いでした。何度でも再会するジャコメッリ作品への問い掛けとなっています。(何回も読むので、点数はつけま...

これから何回も読むだろうし、また何回も読んで様々なことを考えると思います。マリオ・ジャコメッリの展示を見てかなり色々なことを考えて、さらにこの本を見付けたのが、この本との嬉しい出会いでした。何度でも再会するジャコメッリ作品への問い掛けとなっています。(何回も読むので、点数はつけません。毎回変わると思うので。)

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2020/08/14

マリオ・ジャコメッリのことを知りたくて借りたものの、「辺見庸の考えるマリオ・ジャコメッリ」という内容だったので少し外した気がする。 ジャコメッリの作品が何点か掲載されてたのでまあ良しとするってことで。 読みながら、そう考える根拠は?って突っ込みたくなるところが大量にあった。お...

マリオ・ジャコメッリのことを知りたくて借りたものの、「辺見庸の考えるマリオ・ジャコメッリ」という内容だったので少し外した気がする。 ジャコメッリの作品が何点か掲載されてたのでまあ良しとするってことで。 読みながら、そう考える根拠は?って突っ込みたくなるところが大量にあった。おそらく根拠なんかなく、辺見庸がインスピレーションのままに自分の考えたことを記してる本なんじゃないかな。 面白かった箇所抜粋↓ 「強奪されるものはもはや労働力だけでない。判断し決定する能力までもがうばいとられる」エルツェンスペルガー 映像には2つの詐術がある。ひとつは権力の詐術、もうひとつは資本の詐術 辺見庸は資本の詐術として「CMによる映像の詐術」を挙げているけど、現代的にはCMよりもSNSの映像の方が個人の意識に訴えかけるものが多いんじゃないかな?SNS映像の詐術、虚栄心の詐術、と言ってもいいのかも?

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2018/10/23

私には、写真の良し悪しなどわからないのだが、本書では、ジャコメリットという写真家に対する私的な感想文であるため、まったく理解できなかった。しかも、文書自体が、恐ろしいほど難解かつ、錯綜的。著者はどうしてこのような本を書いたのか、まったく理解できない。

Posted byブクログ

2013/02/22
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

トゥーサンの「カメラ」を読んだとき、イメージにあったのがマリオ・ジャコメッリの写真でした。思い出して再読。

Posted byブクログ

2012/07/06

なんかこのボヤッとした文章どっかで…って思ったら辺見庸さんだった…。この人の文章特徴ある。探さなきゃわからないところに名前書いてあるからわからなかった。 文学論みたいなものかな、と思うけど、あまりにも辺見さんワールドすぎてちょっとはなにつくなぁ、普段あまり文学論読まないせいもあ...

なんかこのボヤッとした文章どっかで…って思ったら辺見庸さんだった…。この人の文章特徴ある。探さなきゃわからないところに名前書いてあるからわからなかった。 文学論みたいなものかな、と思うけど、あまりにも辺見さんワールドすぎてちょっとはなにつくなぁ、普段あまり文学論読まないせいもあるとは思うけど…。「…~間違いない」って書いてあったら「え?本当に?出典は?」って思っちゃうので気持ちよく読めない。

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2010/10/04

辺見さんの文体が夏にはちょっと向かないかもしれない。 もしくは真夏の炎天下の公園で読むと、ジャコメッリの写真と相まって ぴったりくるかもしれない。 ジャコメッリへの愛とオマージュがたっぷり。 夜半の地下鉄にはぴったりだった。

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2010/07/11

写真目当てで読んだのだけど、すごく読み応えがあった。 関係ないけどジャコメッリの作品の邦題ってすごくセンスがいいね。「死が訪れて君の目に取って代わるだろう」、「私には自分の顔を愛撫する手がない」、「夜が心を洗い流す」とか。

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2009/12/27

辺見庸のこの本を借りてきたのは、11月の終わりに天音堂ギャラリーで梅田恭子展を見たときに、辺見庸の本はほとんど読んでいて講演会にも行ったりするという方からジャコメッリの話を聞いて興味をもったから(天音堂では「ジャコメッティ」と聞き、あの細長ーーい人物彫刻の人ですか?と訊いたら、い...

辺見庸のこの本を借りてきたのは、11月の終わりに天音堂ギャラリーで梅田恭子展を見たときに、辺見庸の本はほとんど読んでいて講演会にも行ったりするという方からジャコメッリの話を聞いて興味をもったから(天音堂では「ジャコメッティ」と聞き、あの細長ーーい人物彫刻の人ですか?と訊いたら、いや写真家だと言われて、帰ってから調べてみて、「ジャコメッリ」のようだとわかった)。 梅田恭子さんの「ツブノヒトツヒトツ」は二度か三度みている。前に天音堂へ寄ったときに、梅田さんの作品がカバーになっていると、辺見庸の『自分自身への審問』を買っていた。 私は以前は毎週のように「日曜美術館」を見ていたが、去年くらいからおもしろくなくなって、ほとんど見なくなっていた。この本のもとになったのは、「日曜美術館」で辺見庸が語った「私とジャコメッリ」だそうである。私はその放映を見ていない。 この本は、ジャコメッリの写真をはさみながら、辺見庸が「私とジャコメッリ」について書いたもの。テキストはもったいぶったような言葉遣いもあってわかりにくいなと思ったが、「モノクロであること」(ジャコメッリの写真はすべてモノクロであるらしい)について、モノクロの世界は想像の余地を与えてくれるのであって、それに着色するのは内的な作業だ、というところは、おもしろいなと思った。 ジャコメッリは、「白、無限の虚無。黒、無限の傷痕」と言っているそうだ。 あとがきで、辺見庸はこんなことを書いている。 ▼世界を純粋客観的にとらえうるとするのは近代以降、今日にひきつづくひとの驕慢な幻想である。私たちはそれぞれの脳裡に秘めた知と想像(妄想)と狂気以上のものを世界に投影することは所詮できはしない。(p.111) 絵をみて「写真みたい」とホメる人がいるが、ああいうのは何をホメてるんやろうなあと思う。 辺見庸といえば『もの食うひとびと』や『ゆで卵』などから始まって、10年くらい前にいっときだいぶ読んだけど、最近は全然読んでなかった。『自分自身への審問』をぱらっとやって初めて知ったが、2004年に脳出血で倒れたらしいが、その後また執筆や講演に復帰しているという。 去年の本で『愛と痛み―死刑をめぐって』というのがあるらしいので、こんど読んでみようと思う。

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2010/02/13

辺見さんのジャコメッリの見方です。 このジャコメッリの現実離れした白黒写真は、死の世界や天国や心の奥の中に踏み込んだようである。 絵画のように創作した写真は、わざとらしく見えるものもあるが、一目見たらこれは何なんだという驚きがまず湧き上がる。 こういう芸術の形が世界にあること...

辺見さんのジャコメッリの見方です。 このジャコメッリの現実離れした白黒写真は、死の世界や天国や心の奥の中に踏み込んだようである。 絵画のように創作した写真は、わざとらしく見えるものもあるが、一目見たらこれは何なんだという驚きがまず湧き上がる。 こういう芸術の形が世界にあることは事実で、ジャコメッリはそれを誰にも共有できない形でもっていた。 なぜこういう写真をとるのか、どのようにとったのか ジャコメッリという人に興味が向かう。 写真もやはり見事。 老人ホームで死にかけている抜け殻のような人の画面、鳥瞰してとった秩序ある自然をだましとった画面、そして白黒の死の世界と生の世界とはざまの画面。 ぼくたち普通の人ではなかなか感じ取ることのできない画像である。 ここではないどこか別の世界にひたりたいとき、ページをめくったり、見つめたり、現実的な違った場所に行ったりするものだが、本書もそういった期待に沿うものであろう。 マリオジャコメッリの写真を初見したのは芸術新潮の小さな特集。

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2009/10/07

凄いものを見てしまった!という感想しかない。 あの「もの喰う人びと」の辺見氏が、脳溢血で倒れたという。目覚めても意識が途切れている感覚、たよりなく、よるべなくひたすら孤独で、あの世とこの世のあわいにいるような異界であったそうだ。 そんな感覚が蘇るジャコメッリの映像は、なんとも...

凄いものを見てしまった!という感想しかない。 あの「もの喰う人びと」の辺見氏が、脳溢血で倒れたという。目覚めても意識が途切れている感覚、たよりなく、よるべなくひたすら孤独で、あの世とこの世のあわいにいるような異界であったそうだ。 そんな感覚が蘇るジャコメッリの映像は、なんとも言葉がない異界だ。ポスピスで死を待つ老人たちは、死を生き、生を死んでいるが、ジャコメッリは冷酷にして深い眼で撮影する。なにかが壊れているのに正視する、此の世もまさに異界の一片なのだ。 写真集のタイトルはまるで詩だ。 「死が訪れて君の眼にとって代わるだろう」 「私には自分の顔を愛撫する手がない」 「夜が心を洗い流す」 「この憶い出を君に伝えん」 辺見氏は、映像の資本論を展開する。 これらの映像には慰めなどない。癒しということばには陥穽がある。あくなき資本の論理、癒しとはそれを隠蔽するための抜け殻のことばだと論破する。 生と死の往還を唯見つめる眼は透徹していて恐ろしいが、もう一度更に覗き込もうとする私もいる。

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