詩が生まれるとき の商品レビュー
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※このレビューにはネタバレを含みます
詩は詞華集(アンソロジー)で読め、と教えてくれたのは誰だったろうか。たしかに、どれほどすぐれた詩人の詩であっても、詩集一冊をまるごと楽しむというのは難しい。アンソロジーならば、名詩ばかりを選んで編んでいるのだから、めったにはずれることはない。 著者は戦後を代表する女性詩人。その人が自分のそれまで書いてきた詩の中から幾編かを選び、しかも詩に響き合うかのようにエッセイを付した、これはとっておきの詩とエッセイの私家集である。 選び抜かれた詩が佳いのは当然だが、詩につられてエッセイが書かれたというものばかりではない。このことを書いてみたいと思う気持ちが先にあって、それに呼応するように、詩人の筐底深くに眠っていた詩たちが、ゆらゆらと立ちのぼってきたかと思わせる詩もまじる。その詩とエッセイのからみ具合が絶妙である。 数誌に掲載されたものを選んで編集したものであるから、想定される読者層を意識し、自ずからトーンが異なるのは仕方がない。中には、自作詩の分析、解説に近いものを含むが、これはこれで、めったに窺い知ることのできない詩人の創作過程を知ることができるというたのしみがある。 個人的な好みからいえば、「みすず」に掲載したものを集めた最初の十篇がいい。「心が抱えた漠とした欠如。それを埋めてくれる何ものかの到来を、待ちつづけている」という、誰もが感じたことがあるだろう心の有り様を主題にした「ミンダの店」に始まる詩とエッセイのコラボレーションは、まことに完成度が高い。 いろいろ果実はならべたが 店いっぱいにならべたが ミンダはふっと思ってしまう <なにかが足りない> そうだ たしかになにかが足りない で たちどころに レモンが腐る パイナップルが腐る バナナが腐る 金銭登録機(レヂ)が腐る 風が腐る 広場の大時計が腐る(後略) 詩人はミンダをアンソニー・パーキンスを思い浮かべて書いたつもりだが、読む人によって、若い女の子であったり、老婆だったりすることを話題にしながら、「百歳にはまだ間があるが私ももはや<老婆>である。先日のTVの映画でゆくりなくも観たパーキンスが、まぎれもなく<老人>になっていて、これには愕然とした。」とオチをつける。 書名が『詩が生まれるとき』というのだから当然かもしれないが、選ばれた多くの詩と同じように、この詩も詩人とその売り物である詩を描いたものである。いうまでもなく、果実は詩の隠喩。いろいろ言葉をならべてみても、なにかが足りないと思うミンダは詩人その人である。欠如を感じさせるのは、それこそが詩をして詩たらしめる要石(キイ・ストーン)のようなものだ。仕入れ口に立って、それの訪れを待つミンダの姿は、詩人の業を感じさせるが、詩自体はどこか異国の下町を感じさせる洒落た雰囲気を纏っている。 「詩はひかりのように、ひびきのように一瞬のうちに感受するものである」と詩人は言う。たしかにそうではあるけれど、平易な言葉をえらび、誰にも分かるように書いておられる詩人の詩でさえ、解説を読むと、なるほどそうであったかとあらためて思うことしきり。詩の読み巧者でない行きずりの読者には「一瞬のうちに感受」することは難しい。 であればこそ、詩人がいかに心を砕いて一編の詩を構成しているのかが、われわれ一般読者にも分かる、このような本はありがたい。それも小難しい講釈でなく、そこはかとないユーモアをたたえ、詩人の身辺に起こるエピソードをまじえたエッセイ仕立てというのがうれしい。手許に置いて、気が向いたときふと開いた頁を読むといった気ままな愉しみに相応しい、瀟洒なそれでいてたしかな手ごたえのある一冊。
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