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青山二郎と文士たち の商品レビュー

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2020/05/16

森孝一(1951年~)氏は、美術書・学術書の編集、公益社団法人日本陶磁協会勤務を経て、現在、美術評論家、日本陶磁協会常任理事。陶磁器や美術に関する著書多数。 本書は、骨董観賞の天才と称された青山二郎(1901~1979年)について、交友のあった小林秀雄、白洲正子、大岡昇平、河上徹...

森孝一(1951年~)氏は、美術書・学術書の編集、公益社団法人日本陶磁協会勤務を経て、現在、美術評論家、日本陶磁協会常任理事。陶磁器や美術に関する著書多数。 本書は、骨董観賞の天才と称された青山二郎(1901~1979年)について、交友のあった小林秀雄、白洲正子、大岡昇平、河上徹太郎、今日出海、宇野千代、中村光夫、梅崎春生らの文士たちが、「中央公論」、「新潮」、「文藝春秋」などの紙誌に載せた文章を集め、1997年に『青山二郎の素顔』として出版されたもの。2009年に改題の上文庫化。 青山二郎は、1901年(明治34年)に東京・麻布の資産家の家に生まれ、幼い頃から絵画や映画を好み、中学時代には陶磁器・骨董品蒐集にも興味を持ち、26歳の若さで実業家・横河民輔の蒐集した中国の陶磁器2,000点の図録作成を依頼されるなど、その鑑識眼は天才的と評された。20代後半から、小林秀雄、中原中也、河上徹太郎、大岡昇平らの文人が自宅に集うようになり、それは「青山学院」と称された。白洲正子、宇野千代なども弟子にあたる。 白洲正子の文章の中に、こんな一説がある。 「彼が信じていたのは、美しいものであり、たまたま美について語ることがあれば、きまってこんな風にいった。「美なんていうのは、狐つきみたいなものだ。空中をふわふわ浮いている夢にすぎない。ただ、美しいものがあるだけだ。ものが見えないから、美だの美意識などと譫言を吐いてごまかす・・・」・・・「わかるなんてやさしいことだ。むずかしいのはすることだ。やってみせてごらん。美しいものを作ってみな。できねえだろう・・・」 そういいながら、傍らのコップを指先で叩いてみせる。「ほら、コップでもピンと音がするだろう。叩けば音が出るものが、文章なんだ。人間だって同じことだ。音がしないような奴を、俺は信用せん」・・・ジイちゃんの周囲には、いつも大勢人が集まっており、・・・その中には、バアのマダムも、バァテンも、板前も、編輯者も交っていて、ジイちゃんは誰とでもへだてなく付き合った。彼らはみな叩けば音のする人たちで、人生経験では、私の遠く及ばないものを身につけていた。」 「ジイちゃんは、しまいには人の顔も見分けがつかなくなっていたが、ライターに火をつけて、「ねえ、きれいだろ、ほんとうにきれいだろう」と、いつまでも焔に見入って飽きなかったという。・・・美神に命を捧げた人間は、意識が朦朧となった後までも、美を追求して止まなかった。・・・ライターの焔だって、眼に見えるものである。ぎりぎりの形である」 「青山二郎とは何者だったのか?」。。。私なりに解釈するなら、青山二郎とは飽くなき「美」の探求者であり、青山二郎にとっての「美」とは、それが物であれ人間であれ、見せかけではない「実体」のあるもののことである。 (2020年5月了)

Posted byブクログ

2012/02/18

良く編集された本。今日出海と青柳恵介氏の文章がいい。ガリシズミックに美に執りつかれつつ、美の形而上を見ながらカント的に逡巡し、経験論的に茶碗を弄り、禅的に言葉に向かう。難儀な遊びをした人。

Posted byブクログ