馬の首風雲録 の商品レビュー
面白かった。設定の練り込みが半端じゃない。舞台もそうなのだけれど、構成の力がすごい。別々の話の繋がりを意識させる最後の構成には脱帽した。キャラクターもよく、登場人物は犬、また、それに準じた生物で三人称視点で描くというのは、外から世界を俯瞰しているような感覚があり、登場人物の内情に...
面白かった。設定の練り込みが半端じゃない。舞台もそうなのだけれど、構成の力がすごい。別々の話の繋がりを意識させる最後の構成には脱帽した。キャラクターもよく、登場人物は犬、また、それに準じた生物で三人称視点で描くというのは、外から世界を俯瞰しているような感覚があり、登場人物の内情に深入りしすぎないことが個人的には魅力的だった。
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10代の頃、一度読んだが、当時は面白いとは思わなかった。しかし再読は一気読み。 おそらく戦争というものへの知識というか、イメージというか何かが不足していて、この本を消化できなかったものと思われる。 馬頭星雲系に属する、顔が犬に似た人間の世界は、より文明が進んだ地球人類が関与した事...
10代の頃、一度読んだが、当時は面白いとは思わなかった。しかし再読は一気読み。 おそらく戦争というものへの知識というか、イメージというか何かが不足していて、この本を消化できなかったものと思われる。 馬頭星雲系に属する、顔が犬に似た人間の世界は、より文明が進んだ地球人類が関与した事も一因となり、全面戦争状態となる。 戦争に入用となる物資を軍人に売る商売をしている、「戦争ばあさん」とその4人の息子。 しかしその戦争が、長男・次男・三男を次々とばあさんから引き離していく。 長男は戦争で富豪となり、次男は反政府の農民軍を率いるリーダーとなり、ばあさんの元に残ったのは、馬鹿で喋る事の出来ない、末っ子のみとなる。 あとがきにも書かれているが、この本には戦争の全てが描かれている。悲惨で、カッコ良く、悲しく、馬鹿馬鹿しい。 この著者ならではの切り口で語られる戦争は、リアルである。 鳥居氏の「昭和二十年」の次に読んだので、まるで現実の戦争のように感じた。
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筒井先生の快作&怪作。実際の戦争が、当時子供だった先生にはドタバタに見えたという話が後書きにありました。この作品も戦争のドタバタを描いています。悲惨な場面もドタバタ小説風に描かれます。たった一箇所だけ文語体の詩が出てくるのですが、あれが何かのパロディなのか演出効果を狙ったものなの...
筒井先生の快作&怪作。実際の戦争が、当時子供だった先生にはドタバタに見えたという話が後書きにありました。この作品も戦争のドタバタを描いています。悲惨な場面もドタバタ小説風に描かれます。たった一箇所だけ文語体の詩が出てくるのですが、あれが何かのパロディなのか演出効果を狙ったものなのか私の文学的素養では判断できないのが残念。誰にでも薦められる本ではないのですが、私はハマりました。
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一昨日、書店で発見。すでに異なる出版社のものを4冊蔵書していますが、躊躇せず購入。 ここ最近では、早川書房以来の9年ぶりの文庫化です。また新たな読者の目に触れることを、たいへん喜ばしく思います。 ええっと、これは彼の『48億の妄想』に続く、第2作目の長編小説です。初出は196...
一昨日、書店で発見。すでに異なる出版社のものを4冊蔵書していますが、躊躇せず購入。 ここ最近では、早川書房以来の9年ぶりの文庫化です。また新たな読者の目に触れることを、たいへん喜ばしく思います。 ええっと、これは彼の『48億の妄想』に続く、第2作目の長編小説です。初出は1967年。 ちなみに同じ年に2冊の短編集、映画でもお馴染みの『時をかける少女』と、それに世間のヒンシュクを買った(なにしろベトナム反戦運動が叫ばれている、良識が前面的に当り前の時代に、戦争を見物に行くツアーで、人が死んでいくのをワクワクして見るというとんでもない小説)『ベトナム観光公社』も刊行されています。 あっ、今ふと思い浮かびましたが、現在では当たり前の、作家が生存中に全集を出すということも、実は1983年~1985年にかけて出された筒井康隆全集24巻(新潮社)がほとんど初めてで、それまでは選集という形しかなくて、全集は没後だったように思いますが、違っていたら御免なさい。 何故そんなことを言うかというと、テレビ東京の「世界を変える100人の日本人」を見ていたら、筒井康隆が出ていて、読むべき名作として芥川龍之介の『河童』を推薦していたのです。 ふつふつと思い出しました。芥川龍之介といえば、私が最も没頭した小説家で、今から思えばよく読んだものですが、中1の夏前までに岩波の全24巻の全集を読破しました。 何かに取り付かれたように、読書ノートも克明につけ、黙読以外にも清水寺の誰もいない場所で朗読したり、たしか時間があれば写経ならぬ写小説したりもしていた記憶もあります。 あ、まあ、それはともかく、それでですね、その他の作家の全集も、学校や市や知り合いのお兄さんの大学の図書館まで押しかけて読みまくったのですが、(あと、もう一軒の不思議な場所がありました。友達の中に大富豪の息子がいて、彼の大豪邸に案内されて驚きました。図書館より本があって、しかも私の読みたかったけれどお目にかかったことがない本ばかり。もちろんひつじのように本を運んでもらい読みました)読書時に、作家の顔とか身なりとか、いつ頃生きていた人なのかなども気にして読むタイプでしたが、その時に全集で読んだ作家はことごとく物故していました。だから・・・、という訳です。 そんな風にして、日本と同時に世界中の文学を、純文学からSFやミステリーやあらゆるジャンルを読んで来て、一番好きなのは、やはり筒井康隆なのです。 ええっと、これほど好きでもファンクラブとかに入ったことはないですし、残念ながら、私は筒井党員でもありませんが、あ、これって熱狂的ファンの集まりだとか聞いたことがありますが、今もあるのか不明です。 好み、といってしまえばそれまでですが、もし『華氏451』の極限になって、世界中の文学の中で、たった一つだけ残すことが出来るなら、迷わず筒井康隆全集を選びます。 世界中の小説家で一番重要なのは誰かな? と、狼に聞かれたら、食べられてもいいから大急ぎで、筒井康隆、と答えます。 あれ、好きだ好きだを連発するだけで、全然前へ進めません。 それと『馬の首・・・』のことが、スッポリ抜け落ちてしまいました。
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