秋田蘭画の近代 の商品レビュー
(2009.07.18読了) 小田野直武を知ったのは、日本経済新聞・朝刊のコラム「美の美」に掲載された「不忍池図」の白黒写真によってです。一度見ただけで強い印象が残りました。たぶん1970年代のことだと思います。本物の絵を見ることができたのは、2001年1月、板橋美術館で開催され...
(2009.07.18読了) 小田野直武を知ったのは、日本経済新聞・朝刊のコラム「美の美」に掲載された「不忍池図」の白黒写真によってです。一度見ただけで強い印象が残りました。たぶん1970年代のことだと思います。本物の絵を見ることができたのは、2001年1月、板橋美術館で開催された「秋田蘭画」の展覧会でした。 その小田野直武の「不忍池図」についての本が出たので、図書館から借りて読んでみました。図書館を利用する前なら、値段を見て読むのをあきらめたのですが、図書館を利用するようになってからは、値段を気にせず読めるので、ありがたいことです。 自分で購入した場合は、ページ数が300を超えるとつい後回しにして、いつの間にか積読になってしまうのですが、図書館の本は、期限がありますので、借りたらすぐに読まないといけません。これもなかなかいいものです。 小田野直武は、平賀源内に蘭画(西洋画)の手ほどきを受けたのだそうです。その後、小田野直武は、杉田玄白の「解体新書」の挿絵を担当しています。 小田野直武は、1749年に生まれ、1780年に亡くなっています。31年ほどの生涯です。 平賀源内が亡くなったのは、1779年ですので、平賀源内の後を追うように亡くなったことになります。 西洋画の先駆は、司馬江漢という説もありますが、今は、小田野直武ということに落ち着いているようです。江戸末期から明治初めのころの西洋画については、府中市美術館で開催される展覧会で、近年何回か見る機会がありました。2006年の「亜欧堂田善の時代」などがその代表的なものです。 小田野直武の評価を高めたのは、画家の平福百穂で「日本洋画曙光」という著作があるそうです。ただ、その頃は、「不忍池図」が見つかっていなかったそうです。 著者は、「不忍池図」についていろんな角度から考察しています。 小田野直武が、江戸で暮らしていたのは、不忍池の近くだったということです。 不忍池のほとりには、出会い茶屋的なものがあったとか、男女の悲恋物語があったとか、唐文化の流入とともに、不忍池が、中国の西湖に見立てられていたとか、いろんな文献を駆使しながら、考察しています。歴史を学ぶことの面白さが盛り込まれています。 最終的には、円窓という絵画テーマにたどり着きます。 秋田藩主、佐竹義敦(号曙山)が三階建ての楼閣の建築を計画し、そのお祝いに小田野直武が「不忍池図」を描いたのではないか、建物の円窓から眺めるための絵として描いたのではないかというのです。 説得力のある論の進め方なので、そうなのかもしれません。面白く読ませてもらいました。 不満は、秋田蘭画の特徴である描き方、前景の花が非常に大きく明確に描かれているのに、バックの風景は、前景とアンバランスに程に小さく不鮮明に描かれるのはなぜなのかということに、何ら言及がないことです。(この本のテーマではないのかもしれません。) 著者 今橋 理子 1964年、東京都生まれ 1987年、学習院大学文学部哲学科(美術史専攻)卒業 1994年、博士(哲学)号取得 1995年、『江戸の花鳥画』第17回サントリー学芸賞・第46回芸術選奨文部大臣新人賞受賞 1999年、『江戸絵画と文学』第12回國華賞受賞 学習院女子大学国際文化交流学部教授 (2009年7月20日・記)
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