“いのち"をめぐる近代史 の商品レビュー
近代における堕胎の実情とその社会・経済的背景を追求。主に京都帝大の法医学者だった岡本梁松が収集した堕胎罪関係の裁判記録や新聞(特に『静岡民友新聞』)に依拠している。堕胎の当事者の多くが女工や奉公人等の貧しい下層の人々であったこと、堕胎が前近代から続く地域社会の一般的習俗であり、...
近代における堕胎の実情とその社会・経済的背景を追求。主に京都帝大の法医学者だった岡本梁松が収集した堕胎罪関係の裁判記録や新聞(特に『静岡民友新聞』)に依拠している。堕胎の当事者の多くが女工や奉公人等の貧しい下層の人々であったこと、堕胎が前近代から続く地域社会の一般的習俗であり、堕胎を生業とする産婆(やそれに準ずる人々)が数多く存在したこと、刑法の堕胎罪は捕捉率が低い上に処罰の軽い「ザル法」であったこと、堕胎罪が基本的に妊娠させた男性の存在を問題としない仕組みで無責任を促進させたこと等を明らかにし、堕胎を一種の家族計画とみなす説や堕胎罪を「富国強兵」のための国家による生殖管理とみなす説を否定している。堕胎の具体的な事例を数多く示して、誰がどのように堕胎を行い、その原因が何であって、それが当時の社会においてどう考えられていたのか、具体的に叙述されているのが秀逸である。 問題は、堕胎=前近代の遺制と固定的に捉え、経済の発達と法的規制の進化による女性労働者の階層的上昇と近代的な産婆制度・産科医の普及によって、つまり近代化の進展によって堕胎は消滅していくものだというストーリーに固執するあまり(それゆえ第二次大戦後にも存在する堕胎を「残存」と位置づける)、副題に「堕胎から人工妊娠中絶へ」とあるにもかかわらず、堕胎と人工中絶がどう違うのか、堕胎と同じ問題を人工中絶が抱えているのではないかという疑問への回答が見通しも含めて全く示されていないことにある。また、女工の相対的な階層上昇を植民地化による「安価」な朝鮮人労働者の流入とセットで位置づけているが、朝鮮人女工の劣悪な労働環境に言及する一方で、その朝鮮人女工の堕胎事情には全く言及していない。もし史料がなくても「ない」ということ自体に触れることは可能である以上、これは著者の無意識の差別意識とみなさざるをえない。
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