荷風さんの戦後 の商品レビュー
2006(平成18)年単行本として刊行。 これはかなり面白かった。永井荷風を幾らか読んでこの作家に興味をもった人は読んだ方がいい。特に、文学性の枯れ果ててしまったような戦後の、老年期の荷風の姿に何らかの思いを抱く人は。 「面白い」というのはこの場合、話の内容が「興味深い」とい...
2006(平成18)年単行本として刊行。 これはかなり面白かった。永井荷風を幾らか読んでこの作家に興味をもった人は読んだ方がいい。特に、文学性の枯れ果ててしまったような戦後の、老年期の荷風の姿に何らかの思いを抱く人は。 「面白い」というのはこの場合、話の内容が「興味深い」ということと、滑稽で「可笑しい」ということの両方の意味にあたる。 かなりくだけた文体で、荷風の奇人ぶりを余すところなく伝えてユーモアに満ち、この著者の展開する「推測」の部分はとても素直なだけに、なるほど、意外とそんなところなのかもしれない、と説得される。 お気に入りの江戸期の歌人・大田南畝=蜀山人のような風狂ぶりを、戦後の荷風はなぞったのではないか、という仮説、1948(昭和23)年に中央公論社から『荷風全集』が刊行開始されたことによって、荷風は文学者としてはもはや為すべき事を為し終えたとの思いを持ったのではないか、という仮説、なるほど「そうなのかもしれない」と思えるような論述があって、私の老人化し枯れた荷風への理解にも新しい光を差してくれた。 また、いよいよ晩年の荷風の『断腸亭日乗』は延々と「○月○日。正午浅草。」というメモ書きのようなものが単調に反復されて、かつての文学的で面白かった「日乗」を知る者は驚き呆れてしまうのだが、こうしたメモ書きの羅列のスタイルは、荷風が最高に敬愛し続けた森鴎外の日記の、同様の羅列スタイルをなぞったのではないかと著者は指摘するが、これなど、「そうだったのか!?」と仰天してしまった。 読んでいて更に楽しかったのは、リアルタイムに荷風に接していた人びとの記録と「日乗」を照会しつつ、荷風はこんな風に気取って書いているけど、それは実はこうだった、という事実が次々と明るみになっていく探索だ。間違いなく、周囲の人びとから見て荷風は奇人変人だったのである。 そうして独特に生きて、望みどおりそのまま孤独に死んでしまったのだから、確かに戦後の荷風は「風狂の人」であったのかもしれない。
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半藤一利 著「荷風さんの戦後」、2006.9発行。明治12年生まれ、身長180cmの偉丈夫、スタイリスト、終生精神貴族の永井荷風の戦後の暮らしぶりを描いた秀作と思います。東京大空襲で麻布の偏奇館と蔵書を焼かれ、東中野の避難先のアパートも焼かれ、岡山の旅館・松竹も焼かれ・・・。熱...
半藤一利 著「荷風さんの戦後」、2006.9発行。明治12年生まれ、身長180cmの偉丈夫、スタイリスト、終生精神貴族の永井荷風の戦後の暮らしぶりを描いた秀作と思います。東京大空襲で麻布の偏奇館と蔵書を焼かれ、東中野の避難先のアパートも焼かれ、岡山の旅館・松竹も焼かれ・・・。熱海従弟の大島宅で、入浴時は財布ばかりか貴重品全部を抱えて風呂場に入ったそうです。米人の作りし憲法が昭和22年5月施行され、昭和24年1月国旗掲揚の許可が。荷風が敬称をつけたのは鴎外さんと露伴さんだけ。あとは君付けか呼び捨て。 昭和27年11月、文化勲章受章。「毎日一回浅草まで飯を食いに出て、早く帰ってきて日記をつけてしまえば一日の終わりです・・・」日記をつけることが生き甲斐に。昭和34年4月30日没。通帳2334万4974円、現金31万308円。
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『荷風さんの昭和』の続編ともいうべきか。『昭和』に比べると氏らしい踊るような筆致がやや影を潜めているように思う。世間に背を向けた、偏屈とも思われる荷風の晩年に何故かなにがしかの共感を覚える。
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荷風さんの本は一冊も読んだことがありませんが、内田百閒さん並みに変わった人だと聞いたので、まずこの本から読んでみました。 そんなに変わった人だとは思いませんでしたが、次は荷風さんの小説を読みます。
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