日本の民俗(8) の商品レビュー
正月を迎えて歳をとるということは、生命力がよみがえって若く生まれ変わることであって、現代の誕生日の考え(老いや死に近づく)とは違う。宮田登は数え年の考えを「魂の年齢」と言い、歳をとるほど長寿になるほど生命力が強まり、人々から敬われる存在であったという。これが衝撃的だった。1年1年...
正月を迎えて歳をとるということは、生命力がよみがえって若く生まれ変わることであって、現代の誕生日の考え(老いや死に近づく)とは違う。宮田登は数え年の考えを「魂の年齢」と言い、歳をとるほど長寿になるほど生命力が強まり、人々から敬われる存在であったという。これが衝撃的だった。1年1年をありがたい積み重ね、老人になるまで健康に生きてこられたことへの感謝を感じた。 今、我々は「出産」というと病院とのかかわりくらいしか持たないが、昔の「出産」は「共同体の持つ互酬的な人間関係やあの世をも視野に入れた広い世界観」だったという。これは出産という行為は切り離された単体のものではなく共同体の中の世界にありつながっているものだった。 産屋の内部の写真を初めて見る。隔離され孤独なイメージがあったが、意外に広く立派で、紙垂があり、かなり神聖な空間であると感じた。 箕が神聖な呪具とされたのはなぜかなと思っていたが、産育習俗としてふるいにかけるようにあの世からこの世へ通過させる意味があるということを知って、少し納得した。他にも意味があるのだろう。 若者組から青年団への変遷について。 明治以降はかつての若者組にあたるものを国家に都合の良い国民にするための修練機関に変えようとしていた。それを当時の柳田国男は批判し、かつての若者組は、目的ややることを村郷ごとに決めて自主的に活動していたと本来の意義をいい、特定の目的のために青年団体を修練機関とするのではなく、そのようなことは学校でやってもらいたいと主張する。国家の目的な学校で(せめて)やってくれれば良いので真に自主的な活動である若者組の精神的な部分が崩壊してしまうことを防ごうとしていた。 第三章は老いについて。 民俗的な文化の紹介だけでなく、自分自身の生き方を見つめなおし人生を考える示唆を与える内容となっている。
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