現代語訳 吾妻鏡(5) の商品レビュー
1190年~1192年の『吾妻鏡』の記述。 ・本巻の政治情勢 ・吾妻鏡 第十 建久元年(1190)正月~12月 但し、3月までは文治6年。4月に建久元年に改元。 ・吾妻鏡 第十一 建久二年(1191)正月~12月 ・吾妻鏡 第十二 建久三年(1192)正月~12月 本書のほ...
1190年~1192年の『吾妻鏡』の記述。 ・本巻の政治情勢 ・吾妻鏡 第十 建久元年(1190)正月~12月 但し、3月までは文治6年。4月に建久元年に改元。 ・吾妻鏡 第十一 建久二年(1191)正月~12月 ・吾妻鏡 第十二 建久三年(1192)正月~12月 本書のほぼ三分の一をを占める分量の注、有り。 付録は、時刻表/方位、平泉復元地図。 大倉御所概念図、鎌倉時代の鎌倉。 奥州藤原氏の遺臣の蜂起と鎮圧後、 後白河法皇の命により上洛し、対面した頼朝。 寺社と朝廷との関係に苦慮する中に発生した、 佐々木定綱と延暦寺の衝突。 建久二年3月の後白河法皇の逝去、67歳。 建久三年7月、頼朝は征夷大将軍に補任される。 8月には千万(千幡)、のちの実朝が誕生。 そして、数万之怨霊を供養するための永福寺が造営された。 洪水や飢饉、鎌倉の大火、地震を乗り越え、 幕府機構が整備され、上洛し、征夷大将軍となり、 頼朝の絶頂期を迎える。 上洛の人数もさながら、共に行列に参加した御家人たちの その人名が記録として残されていることや、 朝廷や幕府、寺社の催しや行事の様子が記録されているのも 興味深く、何と言っても贈り物は馬なのが時代を感じます。 頼朝のお相手大進局の男子出産と政子の嫉妬、 曾我兄弟と北条時政、金剛(北条泰時)の逸話、 義時と姫の前等、北条関係の話が時折挟まっているのも 面白かったです。
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