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贈与論 の商品レビュー

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22件のお客様レビュー

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2010/12/31

>贈り物がもたらしたさまざまな利得を自分が占有し退蔵していると「何か悪いことが起こり、自分は死ぬことになる」 >『贈与論』でモースが書いているとおり、贈り物がもたらした利得を退蔵すると「何か悪いことが起こり、死ぬ」のである。 別にオカルト的な話ではなくて、人間の人間性がそのよう...

>贈り物がもたらしたさまざまな利得を自分が占有し退蔵していると「何か悪いことが起こり、自分は死ぬことになる」 >『贈与論』でモースが書いているとおり、贈り物がもたらした利得を退蔵すると「何か悪いことが起こり、死ぬ」のである。 別にオカルト的な話ではなくて、人間の人間性がそのように構造化されているのである。 だから、人間らしいふるまいを怠ると、「人間的に悪いことが起こり、人間的に死ぬ」のである。 生物学的には何も起こらず、長命健康を保っていても、「人間的には死ぬ」ということがある。 贈与のもたらす利得を退蔵した人には「次の贈り物」はもう届けられない。 そこに贈与しても、そこを起点として新しい贈与のサイクルが始まらないとわかると、「天」は贈与を止めてしまうからである。 >スランプというのは「私たちがそれまでできていたことができなくなること」ではない。 できることは、いつでもできる。 そうではなくて、スランプというのは「私たちにできるはずがないのに、軽々とできていたこと」ができなくなることを言うのである。 「できるから、できる」ことと、「できるはずがないのに、できる」ことはまるで別のことである。 「できるはずのないことが、自分にはできる(だから、この能力は私物ではない)」と自覚しえたものだけが、次の贈与サイクルの創始者になることができる。 (ブログ「内田樹の研究室」より、とりいそぎ。

Posted byブクログ

2009/10/07

 特に一部の地域コミュニティでは、人間の活動は贈与で成り立っている。そこには、霊とのつながりから導き出される現所有者との 過去所有者とのつながりがある。それが、恐らく地域コミュニティにおいての不和をなくさせてきたのかもしれない(もしかしたら、逆なのかもしれないが)。 では、なぜ現...

 特に一部の地域コミュニティでは、人間の活動は贈与で成り立っている。そこには、霊とのつながりから導き出される現所有者との 過去所有者とのつながりがある。それが、恐らく地域コミュニティにおいての不和をなくさせてきたのかもしれない(もしかしたら、逆なのかもしれないが)。 では、なぜ現代社会では不和がすぐ近い人間同士でも起こるのか?それは、現代社会がつながりを見えなくしているからかもしれない。 人間、やはり視覚でとらえられないものに対しては非常に弱い(ラ・ポール効果の目隠しした人の誘導でも分かるが…)。それが人とのつながりを 希薄にさせているのか…。考えさせられる逸品である。

Posted byブクログ